さよならお義婆ちゃん【葬儀章】 | 馬の会長日記

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「馬の会」の会長“のみ”の気まぐれ日記。
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その時思ったことを気ままに更新してま~す。

1/11(火)に95歳の人生をまっとうしたお義婆ちゃんを
孫のボクらがしっかりと最後のお見送りをしようというお話です。

鉛色の空の新潟。

やっぱり何だか心にポッカリ穴があいてしまったみたいで気分がのりません。

そういう間にも息子も日に日に成長し、アルビも新体制を公式発表し、
サッカー日本代表もアジアカップを勝ち進んでいますね。

書きたい事はいっぱいあるんですが、なんだかお義婆ちゃんの事を今は偲んでおきたいという気持ちなのです。


1/13(木)に「お通夜」も無事に終わり、1/14(金)はすこし朝早い8時から「葬儀」となります。

6時に起き、また辺りは明るくなっていない時間帯なのかと思い外に出てみると
この日は昨日と打って変ってこの冬いちばんの猛吹雪となっていました。

新潟の空も冷たい涙でお義婆ちゃんとの別れを悲しんでいるのかなぁ?

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会場は「お通夜」と同じ「青山会堂」。

まずは相方とお義婆ちゃん所に行き、お線香をあげてからその前でコンビニで買ってきたおにぎりを食べました。

これで、並んで食事するもの最後ですね。

その後、また葬斎場の人と今日の流れを確認しましたが、
そうしているうちにもたくさんの弔問客が訪れはじめました。


新潟ではわりと「葬儀」は身内だけで、「お通夜」のほうが多くの方が訪れることが多く、
この日は朝早いしこの猛吹雪なのであまり来られないだろうと思ったのですが、
逆に早い時間だったために、仕事に行く前に立ち寄ってくれた方が多くいたようです。

そして、ありがたいことにボクの会社の先輩や上司も来てくれました。

こんな天候の中来ていただきたいへん恐縮ではありましたが、
なんだかいつも見るお顔が目に飛び込んできてとってもホッとした気持ちになれましたよ♪


「お通夜」があった昨夜、ボクが一生懸命ベースを練習していた後輩の送別会でもあったのですが、
実はなんと、その日の主役でもある後輩がインフルエンザで倒れてしまい送別会は中止。

急遽その会は「新年会」と名を変更されたらしいです。

演奏はボク抜きでやったそうですが、ボクが急遽欠席だけならまだしも、
主役がいないなんてなんだかなぁ~


そんな話を上司から聞き、さらに気持ちがほぐれました。




「葬儀」の始まりはだいたい「お通夜」の時と同じ段取りです。

だんだんと会場の雰囲気にもなれた息子も最初はご機嫌な声を発していましたが、
お経がはじまるとグッスリ眠ってくれましたよ。

ボク以上に空気が読める男だなぁ~ エライ!

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そして30分位のお経が終わったら「お焼香」をし、喪主の相方が挨拶したのですが、
その後つづけて「五七日」(いつなのか)法要も行いました。


仏教では亡くなってから49日間は成仏できずにさまよっているといわれています。

それを「中陰」と呼ぶのですが、その間7日ごとに合計7回、閻魔大王によって
生前の所業を裁かれ、49日目に判決がいい渡されるのだそうですよ。

遺族はその「四十九日」の「忌明け」までの7回の裁きに合わせ法要を行い、
故人の罪が少しでも軽くなって成仏できるようにと祈るんです。

そして1度目の法要を「初七日」といい、7回目を49日目を「四十九日」と呼びますが、
それを「始終苦がつく」という語呂を嫌い、5回目の35日目「五七日」の法要を重視するところもあるんです。

本来なら、火葬して御骨になってから行うのですが、
お坊さんの都合もあり葬儀につづいて行われちゃいました。

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「初七日」も後ほど行うし、「四十九日」も行うのですが、なぜか「五七日」だけはをやるんですね。

ロウソクを白から赤色に変え、左右にはお花をそえ、もう一度みんな「お焼香」をしました。

弔問客も2度も「お焼香」をして『なんのこっちゃ?』 と思ったでしょうけど、
きっとお義婆ちゃんも『オラよくわかんね?』と言っていることでしょう。

形式とか信仰とか色々重んじますが、なんだかんだ言って結局は故人よりも生きている人の都合なんですね。




その後、お坊さんが退場するとお義婆ちゃんの棺にお花を入れてあげます。

仏教では「献花」とは言わないのかな?

とにかく火葬場に行かれない弔問客はここが最後のお別れとなってしまいますので、
その悲しみの雰囲気にボクの抑えていた気持ちも崩壊しそうになってきました。

しかし、ボクの父親に抱きかかえられた息子がお花を手に持ってきたのを見たとき、
ボクの涙のダムは決壊してしまいましたよ。


そんな姿を相方に見せたら、相方までダメになってしまうと思い、
ボクはちょっとの間その場を離れ廊下に行き、大きく深呼吸して戻ってきました。


そして埼玉ではこの後、棺の蓋を閉じて三途の川の河原にあるといわれる小石で
軽く2回づつみんなで釘を打つ「釘打ちの儀」というのがあるのですが、
こちらではないようですね。

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その後、喪主の相方が白木の位牌を持ち先頭へ、その次にボクが遺影を持ち、
山形の叔母さんが空のお骨箱を持ち、最後の挨拶を終え、
お義婆ちゃんと共に黒塗りのリムジンに乗り込みました。


「ファァ~~~~~~~ン!」というクラクションと共に出棺です。


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その時ホントは左の箱から白い鳩が飛ぶ予定だったのですが、
鳩屋さんから『この雪で飛ばすと鳩が全滅してしまう!』と連絡が入ったらしく、急遽中止になりました。

ちなみにこの鳩は放鳥後、新潟市の西の方にある巻に帰っていくそうが、
たまに迷子になって、ちかくの護国神社で過ごしているのもいるそうですよ。


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生前、お義婆ちゃんと一緒にドライブしたこともある見慣れた海岸通りを走り、
荒れ狂う日本海が臨める火葬場「青山斎場」に遺族だけで到着。



これまでの華やかな斎壇とうって変って、冷たい空間に棺が置かれていました。

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その前に置かれた焼香台に「お焼香」したら、
ついに遺族もお義婆ちゃん顔見るのはホントに最後の時となってしまいました。


ボクが相方とお義婆ちゃんとお別れをしたら、順々にみんな別れを告げていき、
最後にボクが息子を抱っこして「お焼香」し、息子の小さな手をお義婆ちゃんの顔に触らせてあげました。

その瞬間、『ウェ~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!!』

これまでとっとも大人しく、決して泣かなかった息子が突然大きな声で泣き出しました。

それはお腹が空いた時や、オムツが汚れている時とは違う、何の前兆も無く・・・

もしかしたら、冷たいお義婆ちゃんの顔にビックリしたのかもしれないです。
それとも息子なりに最後の別れを感じたのでしょうか?


その場にいた遺族もその息子の泣き声にこらえていたものが弾けました。

息子のこの大きな声、きっと耳の遠かったお義婆ちゃんにも最後のメッセージとして届いたことでしょう。






この空から白く降り積もる雪とは反対に、お義婆ちゃんは真っ白い煙となって天に昇っていきました。

1時間半後には小さく灰になったお義婆ちゃんが寝ています。

これがお義婆ちゃんだなんて、誰もが実感できてないと思いますが、
確かに手術をした右足はありませんでした・・・


左の足先から順々に上に向って箸で御骨箱に入れていきます。

ボクの実家の方では「この世からあの世へ橋渡しする」という意味を込めて
1つの骨を2人の箸で入れるのですが、ここではやりませんでした。

ただ、お願いしていないのに小さな箱にも分骨していたのが不思議で、
相方に聞いてもよくわからないと言うので調べてみたら、

新潟では「浄土真宗」が多く、そこでは菩提寺のお墓に納める以外に
小さな金欄の袋に入った分骨したものを浄土真宗の宗祖「親鸞聖人」の墓所である
「大谷本廟」に納骨するのが門徒のたしなみなのだそうです。



「四十九日」まで実家で過ごしてその後、お墓に納骨するのですが、
その時に「火葬証明書」を絶対に持っていなければ埋葬できないので
無くさないように御骨箱の中に入れておきましたよ。

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帰りは1台のバスに乗り再び「青山会堂」に戻ります。

当然なのですが、そこにはお義婆ちゃんの姿も無く、弔問客もいなくてガランとしています。

なんだか、お義婆ちゃんが死んで悲しみにくれる間もなくバタバタしていたけど、
ここで初めて全てが終わった気がして、一気に寂しくなりました。


これは悲しみではありませんよ。

これまで、ボクらなりに精一杯やってきたし、きっとお義婆ちゃんだって悔いは無いはずです。

でも、介護も含めてこの時までずっと相方とお義婆ちゃんのことばかり考えてきたのに、
それが急になくなっちゃった気がして、そんな日々ももう来ないかと思うと、
なんだか心の隙間に冷たい風が吹き込む感じがしてなりません。



そういうこともあり、このブログも今回の事を書き終えてしまうと、
もうホントにそこにいたお義婆ちゃんが離れていちゃう気がしてダラダラと書いてしまっています。

いつかは終わらせないといけない、終わりはあるのもわかっていますが、
この後、「お斎」もありますので、もう少し、もう少しだけもお義婆ちゃんの事を書かせてください。



・・・つづく。