1/11(火)に95歳の人生をまっとうしたお義婆ちゃんを
孫のボクらがしっかりと最後のお見送りをしようというお話です。
孫のボクらがしっかりと最後のお見送りをしようというお話です。
弔引の休明けで仕事もいっぱいいっぱいなので、細切れにのんびりと書きますね。
積もった雪を日本海の眩しい夕日が照らす1/13(木)の夕方に、
お義婆ちゃんの棺は「お通夜」が行われる会場「青山会堂」に入りました。
お義婆ちゃんの棺は「お通夜」が行われる会場「青山会堂」に入りました。

この会場は偶然的にも、3年前に亡くなった義理のお父さん、すなわちお義婆ちゃんにとっての息子、
さらには10年ほど前にはお義爺さんもここで「葬儀」が行われたんです。
さらには10年ほど前にはお義爺さんもここで「葬儀」が行われたんです。
この会場が混んでいて時間も場所も選べなかった季節に、
やっぱり何か「つながり」というものを感じますね・・・
やっぱり何か「つながり」というものを感じますね・・・
「お通夜」の2時間前、喪主の相方につづき先行して息子と一緒に会場入りすると、
まず迎えてくれたのは微笑んでいるお義婆ちゃんの遺影でした。
まず迎えてくれたのは微笑んでいるお義婆ちゃんの遺影でした。
いつもよりちょっとオシャレして出かけ、あったかい温泉に入り、大好きなコーヒーを飲んでいる時のもので、
ホントにお義婆ちゃんの人柄を表す柔らかい表情をしています。
ホントにお義婆ちゃんの人柄を表す柔らかい表情をしています。
親戚の皆さんが、その写真を見て『あぁら、いい顔してるわ~』なんて言ってくれると、
お義婆ちゃんと直接血のつながっていないボクも、なんだか孫として認められた気がしましたよ。
お義婆ちゃんと直接血のつながっていないボクも、なんだか孫として認められた気がしましたよ。
そして、その脇にはお香典返しに付けるものと同じ挨拶状が掲げられていました。
その文章は前日、相方が葬斎場の人にお義婆ちゃんの人柄や趣味、喪主との関係、
思い出深いエピソードなどを取材して、そこから書き起こしたものでした。
思い出深いエピソードなどを取材して、そこから書き起こしたものでした。
多少修正をしましたが、以前お義父さんの時は無かったけど、
今はここまでやってくれるサービスがあるんですね。
今はここまでやってくれるサービスがあるんですね。
「お通夜」会場のお義婆ちゃんはお義父さんの時とまったく同じに装飾した立派な斎壇前で寝ていました。

さて、もう一度葬斎場の人と「お通夜」の流れを打合せし、
1時間ぐらい前からお客様が来られたのでひたすらご挨拶。
1時間ぐらい前からお客様が来られたのでひたすらご挨拶。
そして30分ぐらい前にお坊さんが到着されたので、
ご挨拶と通夜振る舞いに出てもらえるかどうかの確認をし、いよいよ「お通夜」の始まりです。
ご挨拶と通夜振る舞いに出てもらえるかどうかの確認をし、いよいよ「お通夜」の始まりです。
会場には来られた方々がすでに着席しています。
息子も泣いたらすぐ会場から出られるように最前列の一番出口に近いところにベビーチェアを置いてもらい、
埼玉の両親の両親がすぐ脇で見ていてくれていますよ。
埼玉の両親の両親がすぐ脇で見ていてくれていますよ。
まずは入口に相方と2人で立ったら斎壇に一例。
そして、会場の一番奥にある喪主席へ後ろを回って進み、弔問客に向って一例して座ります。

その後2人のお坊さんが入場しお経が始まったのですが、
ここで息子が声を出さないか、泣かないか、気が気でありませんでしたよ。
ここで息子が声を出さないか、泣かないか、気が気でありませんでしたよ。
でも、息子はこの厳粛な空気を感じたのか? タイミングよく眠ってしまいましたよ。
いい子だ、いい子だ♪
「ご焼香」を喪主から順々に行い、30分位のお経の後『生きていれば苦も楽もある』とかいう
ちょっとわかりきった感じの説法を聞かされ、お坊さんは退場しました。
ちょっとわかりきった感じの説法を聞かされ、お坊さんは退場しました。

そこで次に待っているのが喪主からの挨拶です。
ここがお義父さんの時も夜遅くまで悩み考えたところ!
今回は葬斎場の人が故人の名前のところだけが虫食いになっているフォーマット用紙をくれましたが、
ある意味、唯一喪主の今の気持ちを発表する場でもあり、
お義婆ちゃんにメッセージを送る時でもあります。
ある意味、唯一喪主の今の気持ちを発表する場でもあり、
お義婆ちゃんにメッセージを送る時でもあります。
誰が口にしても同じ言葉だったらお義婆ちゃんやせっかく来ていただいた弔問客に失礼!
それなら発しない方がましだ!
なんて思い、再び昨晩悩んで考えました。
そして、やはり気持ちのこもった言葉だから、
相方はついにこれまでこらえてきた涙をマイクの前で流しました。
相方はついにこれまでこらえてきた涙をマイクの前で流しました。
一般的には95年も生きてきた大往生。
相方もせいいっぱい愛情を注ぎ、最後も苦しまずに逝けたし、悔いは残っていない。
悲しいわけでもない・・・でもやっぱり人とのお別れは寂しいです。
ボクもこの時ちょっとググ・・・と込み上げてきましたが、
そこは一緒になって泣いていてはいけないとこらえました。
そこは一緒になって泣いていてはいけないとこらえました。
こうして「お通夜」は無事に終わることができ、別室にお坊さんや弔問客を別室で行われる
「通夜振る舞い」にお誘いしました。
「通夜振る舞い」にお誘いしました。
故人への供養や弔問客へのお礼としてささやかですが、
お寿司やサンドウィッチなどがバイキング形式で用意されています。
お寿司やサンドウィッチなどがバイキング形式で用意されています。
と、言ってもボクらは皆さんにお注ぎして回るので、まったく口にできませんが・・・
昔は車で来ている飲めない人はウーロン茶を飲んでいるのが定番でしたが、
今はノンアルコールビールが多く出ているのでお注ぎに回っても、
ビールを飲んでいるのか? ノンアルコールなのか?
見た目じゃサッパリわからなくて苦労しましたよ。
今はノンアルコールビールが多く出ているのでお注ぎに回っても、
ビールを飲んでいるのか? ノンアルコールなのか?
見た目じゃサッパリわからなくて苦労しましたよ。
そして約1時間の「通夜振る舞い」も終わり、無事この日の全ての過程が終了しました。
皆さまお疲れ様でしたぁ~
とか言いながら、残ったお料理をほおばりましたよ・・・もちろん故人を偲びながらね。
その後、葬斎場の人と明日の確認をし、
お義父さんの時はこの会場にロウソクやお線香を絶やさないように泊まったのですが、
お義父さんの時はこの会場にロウソクやお線香を絶やさないように泊まったのですが、
今回はもうこちらから「ボクらは赤ん坊がいるので、山形のお義叔母さんに泊まってもらえると助かります」と
向こうがグズる前に先制攻撃してお願いしちゃいました。
向こうがグズる前に先制攻撃してお願いしちゃいました。
お義父さんの時はこの後いただいた「弔電」を葬儀で読み上げる順番とかを決めなければならなかったのですが、
今回はお義婆ちゃんだったので、まったく届いてなかったです。
今回はお義婆ちゃんだったので、まったく届いてなかったです。
さてさて、次の日は7時に集合で、8時から「葬儀」が始まります。
家に帰ったらすぐに寝ようと思ったのですが、思わずサッカー日本代表の試合を見てしまいました。
喪主席の隣でコックリコックリしたらマズいですね・・・
いよいよお義婆ちゃんと最後のお別れ。
眠気を振り払ってしゃっきりしっかりと送ってあげないとですね。
・・・つづく。