さよならお義婆ちゃん【序章】 | 馬の会長日記

馬の会長日記

「馬の会」の会長“のみ”の気まぐれ日記。
競馬はもちろん、前に住んでいた新潟のこと、
今住んでいる埼玉のこと、趣味の旅行に、
アルビレックス新潟、グルメなどなど
その時思ったことを気ままに更新してま~す。

今日は先日の1/13、14と行われたお義婆ちゃんの葬儀について書きたいと思いますが、
この記事は悲しみにくれたジメジメしたものではなく、この時の出来事を忘れないように自分の記録のつもりで、

そして読んでいただける方には普段あまり葬儀に関して気にされることも少ないと思いますので、
心のどこかにとどめていただけ、万が一の時にも参考になればと思います。

地域や宗派によってまったく異なることですが、
『へ~、新潟の方の葬儀ってそんな段取りでやるんだぁ・・・』
なんて気軽に読んでいただけますとうれしいです。

95歳までの人生をまっとうし、ボクら孫がそのお義婆ちゃんをしっかりと見送りをしようというお話。


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1/11(火)、雪の降る20時05分ごろお義婆ちゃんは介護施設で静かに息を引き取りました。

この時、相方は会社にいるボクや身内だけに連絡をくれましたが、ボクはすぐに駆けつけず、
明日からの業務が止まらないように、ボクの仕事に関わる人に全てを引継ぎして
お義婆ちゃんのもとに向いました。

この忌引き休暇の間に仕事のことでバタバタしないように、
お義婆ちゃんを送り出すことだけを考えられるようにね・・・



その時、死亡を確認した医者が、死亡診断書と役所に出す死亡届を死因を書いて渡してくれたそうです。

その後、先祖代々の墓がある「菩提寺」(ぼだいじ)や地元の葬斎場に連絡しましたが、
夜だったので詳しい打ち合わせは次の日にすることとなり、
とりあえずお義婆ちゃんを一度自宅まで連れて行ってあげられるように
葬斎場に寝台霊柩車の手配だけをお願いしました。

ちなみに遺体はタクシーで搬送はできません。

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雪が積もり真っ白になった次の日、1/12(水)。

足を手術して以来お義婆ちゃんはずっと家に帰ることができませんでしたが、
やっと半年振りに戻って来ることができました。

そのまま葬斎場に行っても良かったのですが、
この日が友人に凶事を引き寄せると言われる「友引」だったこともあり、
まだ葬儀もはじめられないので、親戚一同の希望もありお義婆ちゃんは
一晩自分の家で過ごせることになったのです。

よかったね、お義婆ちゃん。



神棚は49日までは扉を閉じて半紙を貼る「神棚封じ」をします。

また、お義婆ちゃんの枕元に「枕飾り」と呼ばれる小さな机が用意され、
そこでのお線香やロウソクは火を絶やさないように常に誰かが見ています。

その横で葬斎場の人と今後の打合せをしました。

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喪主は山形に嫁いだ実の娘がいるのですが、『喪主はやりたくない』って言うので、
幼い頃に母親を亡くし、母親代わりにお義婆ちゃんが育ててくれた相方が喪主をつとめることとなりました。

その山形の叔母さんが『数年前にお父さんの喪主をやったばかりだから、もうベテランよねぇ』
なんて言い放った時には、「プチン!」ときましたが、

そんな無情な娘より、孫の相方の方がお義婆ちゃんもうれしだろうと思います。



まずはお通夜と告別式の日取りを決めようと思うのですが、急に気圧や気温が下がったこの時季でもあり、
「友引」明けということもあり、会場が全然空いてないのです。

日を遅らすか? 遠くの会場か自宅葬にするか? また時間帯を極端にズラすか?

選択をせまられましたが、「菩提寺」の都合を確認したところ、時間をズラすのが一番いいこととなり、
「お通夜」は1/13(木)19時から、そして「葬儀」はかなり早い時間になり1/14(金)8時からになりました。

「菩提寺」に連絡するさいには仏弟子になるために授けられる名前、「戒名」を依頼せねばならないのですが、
お義婆ちゃんはすでに素敵な「戒名」を授かっていましたよ。


また、新聞に死亡広告を掲載するか否かもここで決めなければいけないのですが、
お義婆ちゃんの場合、式の日取りとかを多くの人にお知らせしなくてもいいので、
新潟日報の「おくやみ」という、役所に届けると無料で掲載してくれるものだけをお願いしました。

ちなみに役所への届けはすべて葬斎場の人がやってくれましたよ。

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「お通夜」当日の1/13(木)、真っ白になった新潟の街をこの季節には珍しく太陽が照らしています。

いよいよ、枕経が済んだらお義婆ちゃんが棺に納められる時がきました。

お経の時は、息子も空気を察したのか?とっても静かにしていてくれましたよ。


今回は納棺師にはお願いしませんでしたが、葬斎場の人の話では
あの映画「おくりびと」以来、女性の納棺師が増えたんだそうです。

まずは見えるところをドライアイスで冷たくなってしまった腕などを軽くアルコールでふきます。

その後「死に装束」という経帷子を左前に着替え、手には白い手甲、数珠、杖、脚には脚絆を着け、
白足袋とわらじは左右逆に履かせるそうなのですが、お義婆ちゃんは右足も無いこともあり、
全て上からかけてあげることにしました。

よく幽霊が頭につけている三角の布「天冠」は、最近頭に着けないことが多いのだそうで頭の脇に置きましたが、
同じ新潟でも、村上の方では着けるところが多いそうです。

首からは頭陀袋を掛け、その中に三途の川の渡し賃とされる六文銭を入れる訳ですが、
金属は火葬できないので、代わりに硬貨が印刷された紙を入れました。

さらに、途中でノドでも乾いたらいけないと1000円札も持っていってもらい、
親戚一同でお義婆ちゃんを布団ごとお棺に納めました。


そして、お義婆ちゃんの好きだったコーヒーのパックと
いつも出かける時に着ていったお気に入りの上着やバッグ。

寂しくない様に、ボクが初めてお義婆ちゃんにプレゼントした
パン君のぬいぐるみも一緒に入れてあげましたよ。

この写真のパン君は「金毘羅さんの御守り」を首から下げ、常にお義婆ちゃんのベッドの脇にいたんです。

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ちなみにお棺に入れてはいけない物は、燃え残ってしまう金属類、
溶けて遺骨に付いてしまうメガネやお酒などのガラス製品、遺骨に色が移ってしまう果物等、
ペースメーカー等の火葬の際に爆発する危険があるものがNGだそうです。

御守りも菩提寺に対して失礼にあたるかもしれないので、隠して入れました。


どうしても入れたい物があれば火葬後にお骨箱に入れられるそうなので、
お義婆ちゃんの入れ歯は納骨の時に入れることにしましたよ。



それから再び葬斎場の人と通夜振る舞いやお斎の料理、お香典返し、花や籠盛り、
挨拶状、近所の送迎についてなどなど昨日のうちに親戚と決めておいた事を打合せしました。

お斎に出席してもらうのは身内だけにしよう、通夜振る舞いのおおよその人数はお斎の倍ぐらいかな。

受付はお婆ちゃん方の親戚と、お爺ちゃん方の親戚の人にお願いしよう。

などなど、決めなければいけないことはたくさんあります。


さすが、葬斎場の人はプロだけあって、喪主とは別にこの親戚内で
誰が一番の決定権を持っているかを分析しています。

基本、喪主の相方とボクに向けて話していて、外野の親戚も思い思い勝手なことを事を口にするのですが、
そこはスルーしてボクらの話を尊重して聞いてくれるんです。

でも、本家の人がポツリと何かを言うと、その言葉をしっかりと拾い上げ、
ちゃんと議題にし、そこにいるみんなが納得いくように進行してくれるんです。

『喪主が一番気苦労が多いし、みんなの意見を吸い上げていたら話が前に進まない。
しかしその人をないがしろにしたら後々クレームにつながる危険性がある。』

ホントその辺の捌き方は上手くて、プロを感じましたよ。



一通り打ち合わせが終わると、ボクは埼玉から両親が来るので、新潟駅に息子と一緒に迎えに行きました。

両親は冬の新潟に来るのは初めてなのですが、せっかく来たのにこの日は晴れていて、
雪国らしい鉛色の空を見せられなくて残念だなぁ、ってちょっと思っちゃいましたよ。

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そして16時、ついにお義婆ちゃんが長年住んだこの家を出ていく時がきました。

寝台霊柩車には相方と叔母さんが乗り、会場に向いました。

親戚一同も着替えをし時間になったらそれぞれで会場へ、
ボクは両親を今夜泊まるホテルに送り、後でタクシーで来てもらう事にし、先行して会場に入りです。



さて、いよいよお義婆ちゃんをお見送りする式の始まりですよ!

悲しんでなんかいられませんね。

95年のお義婆ちゃんの人生をボクらがしっかりと締めくくらねばなりません。

まずは19時から行われるお通夜です。



・・・つづく。