そして、「道の駅みかわ」の正面に以前から気になっていた看板が・・・

「日本一の巨木」!!
ちょっと気になりますよねぇ~♪
でも実はボク、新潟にきたばっかりのときに見たことはあったんです。
ずっと新潟に住んでいる相方は知らなかったというので寄り道をしてみましたよ。
ずっと新潟に住んでいる相方は知らなかったというので寄り道をしてみましたよ。
それにしてもあんな看板、以前からあったかなぁ?
ほんのちょっと坂道を登っていくと、こんなに雰囲気のある山寺が姿を見せました。

「平等寺薬師堂」です。
「平等寺薬師堂」は平安時代末期に余五将軍、平維茂(たいらのこれもち)が建てたとされています。
能の一曲である「紅葉狩」で有名な将軍だそうです・・・って知りませんでしたけどね。
維茂がこの地へ訪れた時に川の中で光るものを見つけ、拾い上げると黄金に光る薬師如来像だったそうで、
その薬師如来像を祀り、経てたお堂が「平等寺薬師堂」のが始まりだそうです。
その薬師如来像を祀り、経てたお堂が「平等寺薬師堂」のが始まりだそうです。
木造建築としては県内最古のもののひとつで、国指定重要文化財に指定されているんですねぇ~
この絵に描きたくなるような空気・・・小学校の時の写生大会を思い出しましたよ。

しだれ桜がキレイでした。
堂内の柱や壁にはところどころに落書きがあり、これは戦国から江戸時代にかけて書かれたものだそうです。
中でも天正6年(1578)、上杉謙信の急死のために起こった後継者争いで景虎と景勝が争った
「御館の乱」に便乗して、隣国の会津の将兵たちが攻め込んできた後、
戦いに敗れて帰える途中に書いたものが残っているそうです。
「御館の乱」に便乗して、隣国の会津の将兵たちが攻め込んできた後、
戦いに敗れて帰える途中に書いたものが残っているそうです。
この「平等寺薬師堂」の落書きにちなんでできた、お堂の下にあるお休み処「落書庵」では、
お抹茶(200円)をいただきながら、「落書き」ならぬ半紙に思いのままを
書き綴ることができる写経(300円)もできます。
お抹茶(200円)をいただきながら、「落書き」ならぬ半紙に思いのままを
書き綴ることができる写経(300円)もできます。
おっと、目的は「日本一の巨木」でしたね・・・
「平等寺薬師堂」から道を渡って反対側から入る暗い山道。
その先に「日本一の巨木」があるのですが、いったいどれくらい奥まで進めばいいのだろう?
と、軽い不安が起きるのですが、意外にすぐ近く、数10mで出会うことができました。
と、軽い不安が起きるのですが、意外にすぐ近く、数10mで出会うことができました。
これが日本一の巨木の「将軍杉」です!

ここに来たらいきなり周りの空気が変わった感じがしますよ。
やっぱりスゴい迫力を感じます。
それは見た目の迫力と言うよりも樹齢1400年も生きてきたという生命の神秘的な力。
どこからかこの木の息吹が聞こえてきそうです。
どこからかこの木の息吹が聞こえてきそうです。
空に向かって伸びる6本の幹はまさに天を支えている柱のようですが、
肝心の中央の1本が途中で折れているのが残念です。
肝心の中央の1本が途中で折れているのが残念です。
これは昭和36年の室戸台風のせいで失われたそうですよ。
以前はどうやら日本一じゃなかったそうなのですが、2001年に再計測したところ、
幹の周囲が「19.31m」となり日本一の太さのある巨木とされたようです。
幹の周囲が「19.31m」となり日本一の太さのある巨木とされたようです。
ただ、凹凸まで沿ってしっかりと測った計測方法には色々異論反論オブジェクションがあり、
まぁるい幹などの木にとってはもちろん不利であったり、
また計測方法も定まってないらしいので、とりあえずはこの方法で測った中での日本一だそうですよ。
まぁるい幹などの木にとってはもちろん不利であったり、
また計測方法も定まってないらしいので、とりあえずはこの方法で測った中での日本一だそうですよ。
まあ、測る場所、樹齢、計測方法の違いだったりと「日本一」と言っているの杉は
全国に何本かあるってことですけどね。
全国に何本かあるってことですけどね。
ちなみに高さは約40m、国の天然記念物に指定されています。

まあ、一番でなくてもこの「将軍杉」と名乗るだけの迫力は間違いなくありますよ。
この「将軍」という名は、余五将軍「平維茂」からきているのですが、
維茂の遺骸を葬った後に目印として植えられたそうなんです。
維茂の遺骸を葬った後に目印として植えられたそうなんです。
「将軍杉」周りにはウッドデッキがあり、360℃どの角度からも見られるようになっています。
ボクも1周回ったのですが、やっぱり花粉症のボクはこの「将軍杉」って言う名前だけで、
鼻がムズムズ・・・クシャミ連発でしたよ。
鼻がムズムズ・・・クシャミ連発でしたよ。
実際、花粉が飛んではいなくて気分的な問題なのかもしれませんが・・・
ただ確実にマイナスジャスコ・・・いや、マイナスイオンは飛びまくりでしたよ。
フッフ~♪

しかし、この「将軍杉」ももっと昔には切り倒される危機を迎えそうになったことがあったと、
設置されている看板に書いてありました。
設置されている看板に書いてありました。
それによると・・・
『その昔、村人がこの杉を切り、船を造ろうと計画したところ、
一夜にして地面に沈んでしまったという伝説が残されている。』
一夜にして地面に沈んでしまったという伝説が残されている。』
と、書いてあったのですが、この文章の意味皆さんわかります?

これを読んで相方と顔を見合わせて「???」ってなったのですが、
いったい『一夜にして地面に沈んだのは何?』ってことになりましたよ。
いったい『一夜にして地面に沈んだのは何?』ってことになりましたよ。
この文章の主語が何だかわからず、もし文頭の『その昔、村人が・・・』にかかるのであれば、
沈んでしまったのは『村人』??!
わ~・・・恐ろしや~、恐ろしや~
そんなバチあたりの事をするから、きっと「平維茂」が怒ったに違いない~
なんて、思ったのですが。
帰ってきて調べてみたところ・・・
『昔、阿賀野川の水運で生計を立てていた村人たちが、
新しい船に使う帆柱がないので将軍杉を伐採して造ろうと思ったんだそうです。
そして、翌朝斧を持って行ってみると、一晩にして「将軍杉」は枝の下の部分まで沈んでしまい、
それに恐れをなした村人たちはこれ以降「将軍杉」を手厚く保護し、後世に残したそうな・・・』
新しい船に使う帆柱がないので将軍杉を伐採して造ろうと思ったんだそうです。
それに恐れをなした村人たちはこれ以降「将軍杉」を手厚く保護し、後世に残したそうな・・・』
ってことで、一夜にして沈んだのは「将軍杉」でしたぁ。
いずれにしても「平維茂」の怒りに触れたのかもしれませんね。

ここには初代会津藩主の「保科正之」が建てた「平維茂」の墓碑もありましたが、
「将軍杉」が時が経つと共に大きくなっているのと反比例して、
「将軍杉」が時が経つと共に大きくなっているのと反比例して、
この墓碑はどんどん風化して削られていき、4面に刻まれていた1745文字の漢文は、
一文字も読み取れなくなっていました。
一文字も読み取れなくなっていました。
「時と共に積み重ねられたもの」と「時と共に失われていくもの」。
この2つが対になってさらに1つの大きな時の流れを体感できるような気がしました。
そんな感じでの~んびり過ごしたボクのゴールデンウィークの4日目、
5/4(火)は新潟県内にある誇るべき日本一と、深く大きな時間を感じられた日となりました。
5/4(火)は新潟県内にある誇るべき日本一と、深く大きな時間を感じられた日となりました。