ちょっと遅い夏休みに出かけた3泊4日の「福井&岐阜旅行」の1日目も
もうすでに夕方になってしまいました。
もうすでに夕方になってしまいました。
しかし、もう1ヶ所観ておきたい場所があったのです。
それは坂井市の丸岡町を一望する小高い丘の上にある、
「現存天守」でもっとも古い天守をもつお城と言われている「丸岡城」です。
「現存天守」でもっとも古い天守をもつお城と言われている「丸岡城」です。
「現存天守」とは国内で江戸時代以前に建設された天守閣が、
現在もそのままの姿で残っているものを指し、現在は12城あるのですが、
現在もそのままの姿で残っているものを指し、現在は12城あるのですが、
その内の1つ国宝でもある愛知県の「犬山城」と「どっちが最古か論争」したところ、
「犬山城」は「金山城」から移築されたという説が疑問視され、
「犬山城」は「金山城」から移築されたという説が疑問視され、
その場にずっと建っている「丸岡城」を最古する見方もあるんです。
まあ、その最古の「丸岡城」も1度、昭和23年の福井大地震で崩壊してしまったんですけどね。
釘などを使っていない工法だったので、ほぼまた同じ材料で組み立てなおせたのは
素晴らしいことだとも思うのですが、「丸岡城」が国宝でなく国の重要文化財に
とどまってしまったのはその地震が原因かもしれませんね。
素晴らしいことだとも思うのですが、「丸岡城」が国宝でなく国の重要文化財に
とどまってしまったのはその地震が原因かもしれませんね。

で、実はお城の敷地内に入るには17時まで(入場料:大人300円、小中150円)に
行かなきゃいけないのですが、到着したのはすでに18時をまわっていました。
行かなきゃいけないのですが、到着したのはすでに18時をまわっていました。
小高い丘にあるというので、遠くからも見られると思ったのですが、
「日本さくら名所100選」にも選ばれているとのこともあり、木々が邪魔してよく見えません。
「日本さくら名所100選」にも選ばれているとのこともあり、木々が邪魔してよく見えません。
なんて計画性の無さなんだぁ・・・
入場券売り場も閉まっていて、係りの人もいないので
「やっぱり見られないのかぁ・・・」と諦めかけていたところ、
「やっぱり見られないのかぁ・・・」と諦めかけていたところ、
ボクの目の前を地元の人が犬の散歩や、自分の散歩などで、普通に敷地内に入っていくじゃなですかぁ。
それにならってボクもごくごく自然に、そして時々挙動不審に敷地内に入っていくと・・・

おお!「丸岡城」だぁ!
見ちゃった、見えちゃったぁ・・・いいのかなぁ? いいよねぇ。
夕暮れ時のお散歩ですよ~
1576年柴田勝家の甥、柴田勝豊によって築城された「丸岡城」は、別名「霞ケ城」とも呼ばれ、
このお城の井戸には守護神の大蛇が棲んでいて、いざという時に霞を吐いて
城を包み隠して守るという伝説があるのです。
城を包み隠して守るという伝説があるのです。

これが蛇のすむ井戸とされているのですが、
実際、ここの地域は九頭竜川の支流竹田川が流れていることもあって、
気象的にも霞がよく立ち込める所なのだそうです。
実際、ここの地域は九頭竜川の支流竹田川が流れていることもあって、
気象的にも霞がよく立ち込める所なのだそうです。
また、それ以外にもこのお城には悲しい言い伝えもあるのですよ。
それは・・・
むかぁし、むかし、それはこのお城を築城する時の話になるのじゃが、 何度も何度も積み上げても崩れ落ちてしまう石垣に悩んでいた柴田勝豊は、 家臣の提案により人柱を入れることで治まるのではないかと考えたそうな。 そこで人柱に志願してきたのは「お静」という片目を失明した女性。 2人の息子がいて、夫に先立たれ苦しい生活ををしていた「お静」は 『もし自分が人柱になっても、息子のどちらかが侍に取り立ててくれて、 人並みの生活ができるようになれるのであれば、よろこんで人柱になろう』と そのことを条件に「お静」は自ら人柱になることを決意して天守閣の中柱の下に、生き埋めになったのじゃ。 そして「お静」が人柱になったおかげか、石垣はその後崩れることなく そりゃぁ、立派な天守閣が完成したのじゃった。 じゃが、「お静」と約束をした当人、勝豊は他国に移ることになってしまい、 息子はどちらも侍になることなく「お静」の願いは叶えられることが無かったのじゃった。 なんと、悲しいことであろうか・・・ それ以降「お静」の悲しみからか、毎年人柱になった4月中旬になると、決まって長雨が降ることから、 いつからかそれが「お静の涙雨」と呼ばれるようになったそうな。 『♪堀の藻刈りに降るこの雨は いとしお静の血の涙』 この時季、この地域でに歌われる堀の藻を刈り取るときにうたわれるこの唄は、 「お静」悲しみを鎮めるものなのかもしれんな。 また、そのことに悲しみ、怒り、恨んだ「お静」の亡霊は恐ろしい片目の大蛇となり、 城の井戸深くにすみつくようになったとも言われておるのじゃと。

あぁ、なんてかわいそうな「お静」さんなんでしょう。
自分の息子の幸せを期待して命まで投げたのに、その願い叶わずなんて・・・
日本だけでなくお城には「人柱」伝説が多く存在しますが、
ここまでしっかりとした慰霊碑があるのも珍しいですよね。
ここまでしっかりとした慰霊碑があるのも珍しいですよね。

蛇の話は別としても、生き埋めになったのは伝説ではなく、実話なのかもしれませんね。
そんな切ない気分のまま、いつもとは違う日本海に沈む夕日を見ながら
夏休み1日目の福井観光を終えようと思います。
夏休み1日目の福井観光を終えようと思います。

さあ! 日が暮れてしまったら、あとやれることは決まってるでしょう!
そうです、お腹も空いたので美味しいもんでも食べに行きましょうよ♪
さぁ~て、なに食べましょうかねぇ?
・・・つづく。