辻信一さんの『スロー・イズ・ビューティフル』から
引用させて頂きます。
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本来私たち人間はみな
答えを生きるものだと思います。
しかし、それがいつの間にか、
問いをたてて、
答えを生きるかわりに、
その問いを生きるようになっていないでしょうか。
例えば環境運動。
どれもがなくてはならない対策であり
立派な運動であるといえる。
しかし、
それらの問題をたててその解決に取り組むことが、
いつの間にか、
「生きる」ということの
かわりをするようになってはいないか。
問題を追いかけることに忙しく、
肝心の「生きる」ことがおろそかになってはいないか。
川口由一
社会運動家や環境活動家も、
「未来の子どもたちのために」といった
美辞麗句ですませておくわけにはいかないはずだ。
もう一度、川口にならってこう問うべきだろう。
問題を「答え」と取り違えてはいないか。
「答えを生きる」かわりに
問題を生きてはいないか。
「今」は未来の手段に成り下がってはいないか。
ぼくたちの「今」は空しく、
宙に浮いてはしないか。
今は亡き、ドネラ・メドウズとともに
「スロー・ダウン」と言おう。
問題を解決できる人とは
答えを生きている人であるはずだ。
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あなたの「今」は輝いていますか?
未来の希望のためだけに今を生きていませんか?
未来の手段に成り下がった今を生きていると
決して素敵な未来を生きることはできません。
未来は、その「今」の連続でしかないからです。
5年後も10年後も未来のために生き続けることになります。
不安も同じです。
未来に不安をいだいて今を生きていませんか?
5年後の不安を気にしていると
5年後には10年後の不安を気にしていることになります。
いつになったらその不安はなくなるのでしょう?
30代後半の私は仕事を出来るだけ少なくして
環境問題に関わって全国をとびまわっていました。
まさに、答えではなく問題を生きている自分自身に
充実感と優越感を感じていました。
一粒の種をまくことの大切さを実感したのは
その後です。
自分の愚かさに愕然としました。
種を蒔き、木を切り、水を汲む。
その、「今」の行為を楽しんだ先にしか
明るい未来はないのではないか。
そう感じています。
元旦に書いた言葉をもう一度。
忙しい今日だから
ゆっくり歩く
秋の陽のふりそそぐ音が
きこえますように
山尾省三『ゆっくり歩く』より
悟る前、その人は木を切り、水を汲んでいた。
悟った後、その人は木を切り、水を汲んでいた。
ガユーナ・セアロ(ミャンマー上座部仏教の日本人僧侶)
常に答えを生きている人でいたい。
そう思います。