2024年のお正月を迎えました。
皆様明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
と、いつもと変わらないご挨拶。
お正月らしさを求めてちょいと近所をぶらぶらしてみました。
こちらのお家はいつも素晴らしい花壇がお出迎えしてくれて目の保養をさせていただいています。
玄関にはお正月飾りが。
そして横にはお正月らしいお花たちがいっぱい。
JR芦屋駅まで歩いてきました。芦屋大丸ですが、あまりお正月らしさは感じません。
福袋も何点か残っていましたが、どれもそそられなかったです。
去年は大丸の花屋さんで福袋を買いました。デンドロリウムや梅の盆栽などが入っていて
とってもお得感いっぱいでしたけど、今年はどの袋にもオリーブの木とデンドロリウムなど
で、代わり映えしないし、オリーブの木は、すでに植わってるしデパスしました。
でも去年いただいたデンドロリウムが咲いたよ。とお店の人に言ったらビックリしていました。
咲いたデンドロリウムはこちらです。ちょっと逆光で醜いのはご容赦。
帰りに大丸の鶴屋八幡で花びらモチなどを求めました。
お正月はやはりこれでしょ。お家に戻ってからお薄で家内といただきました。
やっぱり美味しいかったです。鶴屋八幡の福袋に入れてくれたら良いのに、
福袋は、毎月1,000円で販売されているお徳用セット二つ分みたいな感じでパスでした。
さて帰り道駅前のホテル竹園の精肉部門(本来こちらが本職です~では、
明日からの営業で福袋の中身が出ていましたが、神戸牛とはいえ、
あまりお得感は感じられませんでした。
ここまでは2日の話です。元旦もやはりティータイムのすぐあとに家がガタガタギシギシ
初めは何?と思いましたけどこれは間違いなく地震だ!
我が家は制震装置が3階リビングの屋根裏についているので揺れよりもガタガタギシギシの
音に恐怖を感じました。体感的に新度3と思いました。当たっていましたけど。
初めは紀伊水道辺りが震源かなと思ってテレビをつけると、震源は能登半島で最大震度7と出てビックリ。確かに昨年は能登地方で群発地震が発生しており、一部の専門家からは大地震がいつおこってもおかしくありませんと注意喚起がなされていました。
私も29年前の阪神大震災をすぐ思い起こしました。
あれと同じ風景が画面に映っていました。
実家は阪神高速道路神戸線が倒壊した所からJR神戸線まで北に上がったところにありました。
あのときは私は東京勤務で朝出社したらみんなTVにかじりついて大騒ぎ。「なにがあったん?」と暢気な私。関西で大地震ですよ!と部下達の声。エッ!TVの画面を見ると丁度我が実家が映されていました。えらいこっちゃ!電話するもほぼ通じず、午後になってやっと通じました。オヤジが全壊やと電話でいてましたがすでに承知。とりあえず両親と祖母の無事を確認。その晩すぐに実家へ救援物資を詰め込んで向かいました。当時は携帯電話の黎明期。未だ周りで持っている人はほとんどいませんでしたが、私は何とちゃんと持っていました。部下が先に買い求めその弁らを見て私も調子に乗って買っていましたが、とっても役立ちました。固定電話はほぼ繋がらない状態でしたが、携帯電話ならすぐに繋がりました。東名・名神と夜通し走りましたが、京都南ICから先は不通。下道を走りましたが豊中辺りから倒壊家屋が道を塞ぎなかなか先へ進めません。父親からは今どこや都しょっちゅう携帯に電話がかかり○○を走行中といっても未だそんなとこか乃返事。結局18時間ほどかかりました。車は未だ神戸ナンバーだったので、一般車通行制限箇所でも被災者ということで通してもらえました。
それに比べ今回の能登の地震はあちこちで崖崩れ等で救援も難し状態ですね。
何とか救援物資が届くまで頑張ってほしいと思います。私も出来ることなら我が家の非常用貯蔵品を届けてあげたい気持ちはあるのですが、あの道路事情ではちょっと無理です。
被災者で食べ物がなく善意で炊き出しをしている人も居ましたが頭が下がる思いです。
避難所で私もおにぎりをもらったことがあるのですが、冷たく硬くとても食べられたものではありませんでした。菓子パンの方がすぐ食べられ甘いので元気も出るのと違うでしょうか?
こんなお正月になるとは夢にも思っていませんでした。
私も高岡に3年、金沢に1年勤務したことがあり、能登もなんども訪れたことがあります。とにかく海岸線沿いに道があるだけでとても遠かった覚えがあります。当時は自動車専用道もなかったので。
一刻も早く道が通れるようにそして支援物資が行き渡るよう祈っています。
今はこれしか出来ないのが歯がゆいですが。
能登の皆さん、高岡、氷見の皆さん、救助は必ず来ます。落ちついて頑張ってください。
もっと楽しい記事を書きたかったのに残念です。
最後にNHKの山内泉アナウンサーの「今すぐ逃げること!」の放送には感動しました。