仕事の関係で、5年半近くを過ごしたオンタリオ州を離れ、カナダ西端のブリティッシュコロンビア州に引っ越すことになった。2005 年の暮れのことだった。

オンタリオ州内でウインザーからキッチナーへ引っ越した時は、当時リースしていたグランドチェロキーを使って何度か往復して引っ越しを済ませたが、今度はそうはいかなかった。そもそも 4000 キロの距離を果たしてチェロキーで移動できるのか全く自信がなかった。だがボスに聞くと、彼はカリフォルニアからウインザーまで車、しかもシビックで引っ越ししたそうだ。それなら大丈夫だろうと思い、荷物の取捨選択に移った。

車に積み込む最優先の荷物はもちろん釣具だった。たいてい釣具は長物やかさばるものが多いので、郵送しにくいというのも理由だった。だから本や CD などは新しい職場宛に郵送した。テレビデオ、電子レンジは売り払い、机とベッドはいずれも分解できるものだったが、大きすぎたので所有権放棄の旨の書き置きと一緒にアパートに置いて来た。

結局車に積み込んだのは、釣具一式とインフレータブルボート2艘、ボート用エレキモーターとバッテリー、衣服、キッチン用品、トースター、VCR、DVD プレーヤーなどで、後部スペースはもとより、助手席の足下から座席の上までぎっしりと積めるだけ積んだ。サイドミラーだけは見えるようにした。

キッチナーを発ったのは 12 月 27 日の朝だった。ハイウエー 401 を通ってトロントに出てからハイウエー 400 を北上した。アイスフィッシングでよく通ったシムコー湖を過ぎたあたりからハイウエーの名前がハイウエー1に変わった。後はハイウエー1の上に乗っていればバンクーバーまで着くはずだった。

その日は一気にスペリオール湖東端のスー・サン・マリーまで進み、あらかじめ決めていたモーテルで一泊した。アジア人が見慣れない住友ビザのクレジットカードで払おうとしたものだから、どの銀行から引き落とされるのか聞かれた。日本の銀行だと言うと納得していた。

スー・サン・マリーを翌 28 日早朝に発ってスペリオール湖沿いに西進した。ところがある地点で大型トレーラーとすれ違った際に、まるで爆弾が炸裂したかのような大音響が車内に響き渡り、びっくりしたなんてものではなかった。

いったい何が起こったのかと思ったが、すぐにわかった。フロントガラスの下部に大きなヒビが入っていた。トレーラーが跳ねた石が当たったのだった。すでにトレーラーは遥か彼方に過ぎ去っており、どうにもならなかった。このヒビはブリティッシュコロンビア州で車を登録する時に修理交換せざるを得ず、高くついた。