流山線というローカルな馬橋~流山まで5.7kmの電車があります。

終点の流山駅のひとつ手前の駅は今は「平和台」となっていますが、
74年の10月までは「赤城台」=あかぎだい駅でした。
というのは「赤城山」が近くにあり「赤城神社」があるのです。
赤城山と言えば?上州国定村の国定忠治
「赤城の山も今宵限り、かわいい子分のお前たちとも、別れ別れになる
門出だぁ」
のセリフで全国的に有名な赤城山を思いだしますよね。
群馬県の前橋と桐生にまたがっている群馬のへそ(ほぼ中心)です。

その赤城山に建長年間(1249~56)に大洪水が起こりました。
大洪水で上州赤城山の一部の山が崩れて流れ流れてこの地に落ち着きました。
流山の由来はこの出来事と言われています。
さて、嘘か誠か、検証する方法はないのでしょうか?
実は、上州赤城山に生い茂る「クマザサ」がこの流山の赤城山にもあるのです。
流山に「クマザサ」の生えている場所は他にはありません。
クマザサは高山性の植物ですから平地の流山の植物ではないのです。

科学的にDNA鑑定したらいいのにって思いますが・・
もし、流山の名前の由来を根底から覆すことがあったら怖いのですが、
仮にそうだったとしても、流山は流山ですから^^
この赤城山は標高15m 周囲350m程の小山です。

他に流山の由来としては「上州赤城神社のお札」がこの小山に流れ着いたという説もあります。
赤城神社

両方とも「流れ着いている」ことがキーワードです。
ところで、本当に100km以上の距離を山が流れて来たのでしょうか?
自然の力は人間の予想を遥かに超えています。
浅間山の大噴火(1783年)も歴史で習った通りですが、

江戸川区の小岩にある「善養寺」には浅間山大噴火の供養の碑が建てられていますし、
葛飾区の題経寺にも供養の碑が建てられています。
噴火によって溺死した人が流されここで引き上げられ葬られたそうです。
この出来事から分かる通り、山が流れてくることはあり得たのです。
しかも、現代のように河川が管理されていない時代です。
流山、緑ゆたかで都心からも近い環境を継続したいものです。