8/28 衝撃的なニュース | Takumaのブログ

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穿ってゆがんだ愛で綴るジャイアンツとサインあれこれ…

きのうは数多くの衝撃的なニュースが流れた一日でしたね。
 
一番衝撃的なニュースは、なんといっても首相の退陣。
早くも次期首相の名前が色々と出ていますが、私としてはきちんと安全保障が出来る人材、厄介な隣人(どこの国とは言いませんが)にNOを言える人材になって欲しいと切に願います。
 
あと、国に指定された難病を理由に職を辞した人に対して、それを喜ぶような発言をしている政治家や文化人(気取り)は何なんでしょうかね。
 
私の住む台東区でも、コロナが流行り始めたころに共産党の鈴木のぼるという区議会議員が「これを”晋”型コロナという」とかツイッターに呟いて炎上、即削除という茶番をやっていましたが、なんで普段「人権擁護」とか「命を守る政治」とか「平和主義」みたいなことを標榜しているのに、そんなことを言ってしまうのか。
 
自分たちの主義主張と対立する人間の生命や身体、基本的人権はどうなっても関係ないと考えているのか。
 
それだったら、あなたたちの思想こそが、”アベ政治”うんぬんよりも何倍も「独裁」的じゃないのか。
だから共産党やら左翼思想は好きになれない。
 
なんだか、いろんなことを考えてしまって気疲れした一日でした。
まぁ、おかげで昨日の試合はあんまり集中して観戦できなかったので、「勝てる試合を落とした」ことへの憤りも小さくて済んだわけですが…苦笑
 

ちょっと話は逸れましたが、昨日は他にも何名かの偉大な方の訃報がとどきました。
 
お一人目は福嶋一雄さん。
旧制小倉中学では夏の甲子園に3年連続で出場され、1年次と2年次には2年連続の全国制覇も達成。
特に2年次の1948年大会では、全5試合を完封し45イニング連続無失点という大記録を達成されています。
 
その後は早稲田大学~八幡製鉄と進み、アマチュア野球一筋で活躍。
引退後は日本野球連盟の役員を歴任され、2013年には野球殿堂入りも果たされています。
 
また、福嶋さんは1949年に3年連続の全国制覇を逃した際、試合後ズボンのポケットにグラウンドの砂を入れて球場を後にしました。
これが現在まで続く「甲子園の土」の伝統となっており、福嶋さんは「甲子園の土を初めて持ち帰った球児」と言われています。
 
そんな福嶋さんからは、生前TTMの返信を頂いたことがありました。
 
郵送の際のあらゆるリスクも考えて私は必ず封筒裏に電話番号を書いているのですが、ある日突然「お手紙を頂戴した福嶋ですが…」と福嶋さんご自身からお電話を頂戴しました。
 
いきなりのことで私のほうが慌ててしまったのですが、福嶋さんとは電話を通じて色々なお話をさせて頂きました。
いきなり予告も無しに手紙を送りつけた人間の話にも真摯に受け答えしてくださる、福嶋さんの誠実さに胸を打たれました。
 
アマチュア球界の巨星、福嶋さんが安らかにお休みくださることを願ってやみません。
 
お二人目は内海桂子さん。
後輩の芸人でもない私が「師匠」と呼ぶのもおかしな話ですが、私の住む浅草では広く「師匠」と呼ばれていますので、ここでは「師匠」と書かせていただきます。
 
歴代最高齢の現役芸人として、浅草芸人のシンボル、頂点に立つ方でした。

師匠が浅草にもたらした功績は実に大きなものがあると思います。

 

私も数年前、とあるイベントの手伝いをした際に師匠の乗られた人力車を警護したことがあります。

あの時の矍鑠とした様はいまも忘れることができません。

 

また、浅草芸人のみなさんは演芸ホールや東洋館などの舞台が終わると、普通に浅草の街を歩いているんですよね。

御多分に漏れず、師匠も六区通りや仲見世通りなどで時折お見かけすることがありました。

 

きっと、プライベートでも浅草の街を心から愛されていたのだと思います。

 
 
師匠のサイン本。
我が家の家宝のひとつです。