「宮井勝成さんが死去 早実と中大の監督で全国制覇 王貞治や阿部慎之助を育てる」(スポーツ報知)
早実、中大の監督として全国制覇を果たし、巨人・阿部慎之助(現巨人2軍監督)ら有名選手をプロ、アマ球界に輩出した宮井勝成(みやい・かつなり)さんが7日、肺がんのため、都内の病院で死去した。94歳だった。母校・早実を率い、エース・王貞治(現ソフトバンク球団会長)を擁して1957年のセンバツで優勝。59年から93年までは中大を指導し、全日本大学野球選手権を3度制した。通夜は12日、告別式は13日に近親者のみで執り行われる。
宮井さんは、肺がんのため7月末から入院生活を送っていた。関係者によると、中大が新型コロナウイルスによる活動自粛期間を経て実戦練習を再開した6月半ばに東京・多摩市の同校グラウンドを訪れ、選手の調子を気にかけていたという。しかし、がんという病魔に襲われ、7日未明に帰らぬ人となった。
東京・杉並生まれの宮井さんは、早実で1941年の選抜中等学校野球大会に出場。44年に予科練入りし、終戦後、中大に進んだ。大学では捕手、外野手として活躍、卒業前の2年間は主将を務めた。卒業後、証券会社に勤務したが、体を壊して2年ほどで退社。早実OBの久保田高行氏に招へいされ、55年から母校の監督に就任した。
57年センバツに、左腕エース・王を擁して出場。寝屋川、柳井、久留米商と3連続完封で進出した決勝は、5―3で高知商を破って初優勝を果たした。
59年秋には不祥事から東都リーグの2部にいた中大を立て直すために新監督として白羽の矢を立てられた。宮井さんの野球に対する熱意、人間性を買われてのことだった。3シーズン目に待望の1部復帰。5シーズン目の63年秋、ついに優勝を成し遂げた。
以来、93年秋まで監督を務め、東都リーグを6度制し、全日本大学選手権では3度頂点に。武上四郎、笘篠賢治(元ヤクルト)、末次利光、高橋善正(元巨人)、佐野仙好(元阪神)、中塚政幸、高木豊(元大洋=現DeNA)、小川淳司(元ヤクルト監督)らプロ選手を輩出。総監督になってからも、阿部、亀井善行(巨人)らを育てた。また、監督のほか全日本大学野球連盟の専務理事、日本学生野球協会の評議員などアマ球界の重鎮としても存在感を発揮した。
◆宮井 勝成(みやい・かつなり)1926年4月14日、東京都生まれ。早実―中大で活躍、家業のすし店を経営しながら早実監督を務め、59年秋から中大監督に。中大では63年秋に優勝、勇退までに計6度、東都リーグを制した。また、全日本大学選手権を67、73、79年に制覇。明治神宮大会は74年に優勝している。元巨人の末次利光氏は娘婿にあたる。