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学校の文化祭で・・

例えば、出し物を「くじ引き」にしたとき。

景品展開は「3割が誰かが必ず喜ぶ商品」「5割が人を選び悩むほどの商品」

「2割が共通して喜ぶかもしれない商品」の3通りを用意する。

「くじ引き」と言いつつも、くじは本人は引かず「第三者にひかせる」ことで、

少しエンタメを持たせる。

(第三者は、担任でも良いし、校長でも良い・・はたまた部外者でもいい)

 

そのエンタメが良い。

なぜなら、その学校の「進路」の在り方がわかるから。

景品の展開は、もっとランダム性でも良いがこの割合のほうが楽しめる。

 

体育館でやるようなビンゴゲームに近いスタイルなら、

もっと待ってもらうことで、より「進路」のような光景が待ってる。

100個の景品を用意して、100までの番号を用意して、

第三者に番号を受け取って、主催者がくじを引いて行って、

読み上げられた番号順に景品を受け取る。

その時、遠慮なく自由に選んでよし、遠慮しても良い。

 

状況の1つの答えを言えば・・

人の欲が垣間見えて、良い景品が最初に減るから面白いことにはなる。

残った景品に対して、残った番号の人が欲しいと思えないものが残るから、

それが「進路」に見える。

その見立ては、第一希望から第三希望の進学先や就職先ではないから、

社会への不満をどう捉えるか。

 

 

 

 

「感情再現」を改めて行って、昨日書いたことを追記するとすれば・・

 

「悔しい」や「後悔」の感情の欠如の起きやすい状況は、

デジタル機器の中でも、もっともゲームやスマホが欠如の状況を大きくしてる。

これを対策したからと言っても「続ける」には値しない。

 

なぜっていえば・・ゲームは特にわかることだが・・

「目的」や「役割」「物語」の中身を知ろうとしないまま、

「遊び方」だけが先行して遊び続けて、その比喩表現としての「脳死」で

継続し続けることが「悔しい」という感情を欠如させてしまう。

ゲーム内の失態やミスは、リセットやリスタートが容易だから、

ギャンブルと同じで比喩的に「脳が溶ける」状態なのよね。

依存して、のめりこんで・・食事や会話に参加しにくいほどに依存する。

MMOのオンラインゲームは特に「魅力」のポイントがなければ、

依存度は高く、引きこもり生産機と化す。

 

けれど、PVPなどの要素が好きで、特に極めようとするのであれば、

「悔しい」という感情は残りやすいが、現実的な方向性がないだけとなる。

惰性でゲームをして少し苦痛を伴いつつも依存していたら、

もはや辞めたほうが良くて、ずっと苦痛の解析をしないままだと荒らしと化す。

苦痛の解析をして脱出できたら、どうにかなるかもね・・。

 

ゲームで「荒らし」と呼ばれる存在は、

今までの「試し行動」に文句を言われなかったからというのも1つあると思う。

悔しいや後悔が存在しないので、実害がない限りはやり続けるだろう。

 

欠如した「悔しい」の感情は、現実的に過剰な仕事量をこなして、

どれも否定されることで戻る可能性はある。

 

「心がその時々に思うこと」が「悔い」ならば、

表面でも薄膜程度のことで「人がその時々に思うこと」で「侮る」。

 

「悔い」も「侮る」も、世間体のような感覚で社会性の感情の一つとも言えそう。

「悔い」がなければ言論が荒れやすくなり、ひたすら他人を侮ってしまう。

「魂魄」のような・・その差とあまり変わらないかもしれない。

 

「悔しい」がなければ「叱責・怒号」が緩衝されず「否定された」と判断して、

すごく落ち込み、時として泣く。

時として「馬の耳に念仏」になり、スルースキルでもないのに怒られなれたと

錯覚するようになる。

他人の言葉の解析もしないといけないし、「叱責・怒号」を以って言う側も、

その言葉の正しさを知らないといけないから「無視」されて当然の内容もある。