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学校のテスト
中間テストや学期末テストがあると思うが、学力の度合いを見る以外に
テストの必要性は重要なことが2つ存在する。
1つは、運動部以外でも「やりきる力」を見るためでもあると考える。
テストの点数が好かろうと悪かろうと、全力でしてるかどうか。
全力で挑めば、それだけいい結果がついてくる。
これは社会に出て、モノづくりでも、事務業でもすごく役に立つこと。
「やりきる力」がなければ、完成度の低い「B品」を量産することになる。
それは誰が買うの?ってなるから、日本のブランディングの維持のためには、
中間や学期末のテストは必要なのよ。
もう1つは・・それに関連した「感情」の形成。
今の時代、検索でどうこうできるでしょ、AIが答えを教えてくれるでしょ。
人が失いかけてる感情があるのよね。
それは「悔しさ」で、インターネット世代から「悔しさがの源」がない気がする。
運動部の人口減少とネット環境、スマホで情報が入り「悔しい」という感情が
芽生える機会がないと思うの・・。
「悔しい」がほぼなければ、それをスルースキルなどと勘違いを起こして、
「自分自身の本音に向き合うこと」と「本当の内省が取れないこと」が起きる。
その感情がなければ「後悔」もできないので、あと腐れはないが・・しかし、
急に芽生える時がきて「悔しさ」が暴発して「後悔」で身悶えする時期が来る。
(客観的には、冷静や冷酷感に見える。)
「悔しさをバネに・・」もないので「なにくそ精神」も湧かないから、
素っ気なく、呆気なく・・図太い精神にも見えてくるわけで・・。
挑発に乗る割に奮闘する力がない。
運動部でも、芽生えない人は芽生えないけれど・・。
自己の価値の理解、自我の形成の一つでもあるから、「悔しさ」の感情は必要。
デジタル社会でその感情がなくなりつつあるようだから・・。
手書きの中間テストや学期末テストは重要ではある。
悪い点数でも、何もリアクションがないのは、ちょっとおかしいよね・・ってなる。
笑い話もよくないが・・あぁ、遊びたいのか・・。
テストは大体、午前中で終わるよね・・遊びたい気持ちが先行するよな・・。
束縛嫌いに陥ることもあるから、テストへのリアクションを少し強要すべきかもね。
暴力さえなければ、それは「躾」だからね。
(「悔しさ」は、「心がその時々に思うこと」でもあるから、
卒業式や誰かの葬式は泣かないだろうね・・だから、今の墓じまいが増えるのよ。)
「のび太」スタンスは、自由な発想は生まれるが・・完成度が弱い。
テストは「(社会に出た時の)仕事の妥協なき完成度」「悔しさ」を養う場。
テスト自体がそういう学問とも言えそう。
運動部を座学化したような「倫理」と「道徳」の間のような学問。