その人を知るために理解を深めるのと
障害ありきでその人を見るのは
同じようで全くの別物
大切なのは
目の前の人とコミニュケーションの中でお互いを知っていくこと
こんにちは✨
ジャージコバ認定
カウンセラーひなたです。
我が家の夫は発達障害のADHDとアスペルガー症候群の特性がある。
そして、娘達にも遺伝からその特性がいくつかあるのだけど
日々の生活の中で『発達障害はこう』とか
『発達障害は病気だから』とか
『発達障害はプロじゃないと』とか
『発達障害は』を主語として話しをきくことがあってね。
たいていその『発達障害は』の後に続くのは
誰のことでもない、その人のもつ『発達障害の人』のイメージにすぎないなぁ、と感じるんだ。
過剰に重かったり
過剰に心配だったり
過剰に監視していたり
なんとなく重苦しいのが伝わってくる感じ。
だけどね、
目の前の人と話してると全然違ったりするのだよね。
目にする物がそうやって感じるのかー、とか、
聞こえ方がそう違うんだー、とか
気付き方がそうだから話しかける時はこうした方が良いのかー、とか。
ただ自分と相手の違いを知って
お互いのことを理解して
仲が深まっていく心地よい感じ。
知らないからこそ悩むこともいっぱいあるんだけどね。
例えば、アスペルガー症候群の特性
『人の立場になりにくい、人の気持ちがわかりづらい。』
だから、私にとって傷付くことも悪気なく普通に口に出す。
悪気はないから「それ傷付くからやめて。」って言っても伝わりにくくて
『俺は平気だから』
『俺じゃないから』って、
何度も何度も言われたりするんだけど
そんな時は、『私』を主語にして
『私は嫌』
『私は傷付く』
『私は言われたくない』って私の思っていることをなるべくオブラートに『包まないように』気をつけてそのまんま伝える。
そうして相手のことも私のことも伝えあっていく。
日向あおい公式LINE
メッセージ配信中✨