こんばんは。
もう2023年も終わりですね。
2023年、しんどかったなぁ。
よく頑張った。というかよく生き残った。
一月二月は一度目の移植から4ヶ月の段階で、毎日吐き気と食欲不振。
うつ症状も顕著で死んでしまいたいと考える日々。
吊る準備までしてしまった事もあります。
食べられない→動く力が出ない→身体を動かさないから眠くならない→眠れない→元気が無いので嫌な事ばかり考える→生きる気力がなくなっていく→
このループ。
本当につらかった。
今でも気を抜くとこうなりそうになるから意識して気をつけています。
そんな中で3月に入ったところで再発。
あんなに辛い治療を続けてきて僅か半年も経たずに再発って嘘でしょ、という気持ちと正直言ってこれで解放されるかもしれないって気持ちでした。
一度目の移植から再発まで毎日辛くて辛くてとてもじゃないけど二度目の移植をするなんてそんな気にはなれなかった。
二度目の移植後5年の生存率は30%程で一度目の半分で関連死の率も高くなる。
そもそもその前に行うMEC療法(3種類の抗がん剤投与)で生き残れるかもわからない、生き残っても寛解する率は50%。副作用は今までの比じゃないと言われてビビり倒してました。
30%のためにそんな厳しい化学療法を行なってさらに移植って素人考えでも死ぬだろ、と思ってました笑
結局家族や友人と相談してとりあえずMEC療法をして寛解に入れば移植、入らなかったら好きにするというところで落とし所としました。
MEC療法は半端じゃなかった。
治療中にGVHDも併発し全身に発赤や黄疸が出ました。
今まではそこまで酷く出なかった口腔粘膜障害も強く出はじめ、41℃台の熱が続く日もありました。
治療が終わってから聞かされましたが命が危ない日が2度あったと言われました。
確かに生きた心地がしなかった日々だったけど本当に死んでたかもしれなかったとは。
MEC療法が終わって家族を交えた説明の場で先生からよく頑張りましたって言われた時、本当に泣きそうになったな。
その後一度退院して二度目の移植。
やる事はほとんど同じだったので良くも悪くも覚悟はしていました。
でも前回の時より身体の不調が多くて検査の段階から割とキツかった。
特に胃カメラは睡眠障害の影響でウトウトする薬が効かず苦しみながらやる羽目に。
今では骨髄穿刺の次にやりたくない検査です笑
前回と違ったのは放射線治療の前に自分の身体の型を取ってその型にハマって照射を行うことでした。
これがガリガリになった私にはつらくて。
骨が型に食い込んですんごく痛いんですよね。
体調も悪くて気絶寸前でした。
終わってからは唾液が完全に出なくなって味覚障害が一段と酷くなりました。
もうこの時点でかなり心折れてました。
生き残っても味覚障害残ったらもう生きるより辛いじゃんと。
前にも書いたかもしれないですが、私はこの病気になる前からいつ死んでもいい、と思いながら生きていたので命さえあれば、みたいな考え方はちょっと持てないんですよね。
ましてこの病気になってからはより一層その思いは強くなりました。
死生観なんてそう簡単に変わらないものです。
生きたくても生きられない人もいるんだ、と言われる事もありますが死にたくても死ねない人もいるんです。
そう言って甘やかして欲しいなら一生母親に甘えな、と言われたこともあります。
断言するが甘えじゃない。甘えだけは違う。
どれだけの恐怖や懊悩と戦ってきたと思っているんだ。
愚痴っぽくなってしまった。いかんいかん。
そんなこんなで移植が終わり現在に至るわけですが、冒頭でも言った通りよく生き残ったわ笑
どこかで命を落とすルートも沢山あったはず。
今は外来だけじゃなくて定期的に入院しなければいけなくなったけど、服を買いたいとか何かをしたいという気持ちは少しずつ戻ってきました。
死にたいとは思わないです。
ただ、この先も味覚障害や体調不良と付き合っていくとなるとまともに生きていけないんじゃないかなと思うことはあります。
他の闘病されている方のブログを拝見すると本当に前向きで力強い方が多く、こんなんでいいのかと思ったり焦ったりしますがこれも前に書いた通り、私は十分頑張っているからいいのだ!と言い聞かせてます
この3日間くらいは体調が優れず、もう嫌だどうでもいいと思うこともありましたが何とか前向きに年を越せそうです。
皆様よいお年を。