冬になると星空を見上げたくなる。

別に悲しいことがあるわけじゃないのに
自転車に乗っているとき
コンビニに行くとき
ふと空を見上げる。

私が初めて星と親しんだのは
父と最後に過ごした夏休みだったかもしれない。

夏休みの自由研究のテーマが「天体観測」

天体望遠鏡を持ち出して父と二人で夜のベランダに居座り
真夏の星座をひたすら見上げてスケッチした。
そんな二人の様子を見て母はいつも呆れていた。
父親であり兄弟のような存在でもあった父に
私は子供の頃いろんな冒険をさせてもらった。

生き物が大好きで
虫でも爬虫類でも何でも家に持って帰っては母を悩ませ
「(虫さんの)家族が心配するからあなたが会った場所に返していらっしゃい」
と言われてバイバイするたびに泣いた。

近くの空き地にある石を隠して持って帰っては
化石を掘り出す!と言って小さくなるまで石を削り続け
家の中は埃だらけになり掃除機をかけるのはいつだって母だった。

恐竜をこよなく愛し休みの日は博物館に連れて行けのオンパレード

部屋にずらっと並んだ図鑑を見て
植物や海の生物のスケッチを突然始め、
「晩御飯だよ!」などと邪魔をしようものなら気が狂ったように怒る。

私がどんなものに興味を抱いても
どんな時間を過ごしても
怒ったり止めたりすることなく自由に育ててくれた。

わからないことはなんでも父に聞いた。

草を食べるシマウマ、
そのシマウマを食べるライオン
ライオンは肉食動物とか言われてるけど、
草も肉もバランスよく摂ってるから
人間と変わらないんじゃないの
肉食動物とは言い切れないんじゃないの

カタツムリはオスもメスもなくて
それこそ両性類というけれど
生きてる上で自分がどっちだかわからなくならないの
あ、今日は黒いランドセル
あ、今日は赤いランドセル
みたいなことが日常的に起きていて
それってすごく大変なんじゃないの

そんなくだらない質問に
私が満足するまで父はひたすら向き合ってくれた

中途半端に図鑑やテレビ番組で得た私の稚拙な発想は
中学生に至るまで続いた

天体にも例外なく私は興味を抱き
父に聞いた。

月には餅つきをするうさぎが住んでるじゃない
(月の影を指差しながら)
あれが実際はどんな姿をしているのか見てみたい

「じゃぁ、今年の夏休みの自由研究は天体観測にしよう」

そこから私のひと夏が始まった。

でも真実は自分の空想とはかけ離れていることも同時に学んだ。
天体望遠鏡を覗いた先に映る月には
到底うさぎが住んでいるとは思えなかった。

望遠鏡の先にはボコボコした月の表面がくっきりと映し出され
それがむしろ穴のように見えて、
あ、地球は星の表面に生物が住んでいるけれど
月はこれを見る限り表面に生き物がいるようには見えないし
きっと無重力だから表面で生活することができなくて
星の内部で生き物が生活してるんだわ!
毎日ボンベ背負って生活するわけにもいかないし!
みたいな恐ろしい空想に結びつく。
一つの答えを消去されても
私の想像力は瞬く間に膨らみ終わりを知らなかった。

私の頭の中には月に生き物がいないという選択肢自体がなかったことは
今でもはっきりと覚えていることだ。

そして今は
天体観測自体よりも星に眠るそれぞれの物語が本当に興味深くて
ギリシャ神話から勉強を始めるに至っている。

父が私にプレゼントしてくれたもの。
「好奇心の扉を開く鍵」
これって持ってるようで持ってない人がほとんどで、
本当に素晴らしい贈り物だったと思ってる。
人は幼少期の記憶や環境の影響を潜在意識として直に受けて育つから
私は本当に恵まれた中で過ごしてきたなと思える。

夕暮れ時
夜空に星が目覚めるこの時間になると
なんとなくその柔らかい気持ちが頭をよぎってきて
私にこの日記を書かせたのです。

今後は私が好きな星の物語も綴っていきたいな。
先日、親友の誕生日だった。
と言っても、少し前の話になるのだが。
どうしても残しておきたくてこんな時間だけれどパソコンの画面に向き合う。

深夜、すっかり辺りが寝静まったこの時間に一人で過ごす時間が好きだ。
心が静かな気分になって書きたいと思う自分の心の中が言の葉となって画面上に浮かび上がってくる。

私たちには決して眠らない夢がある。
それを一つ一つ形や言葉に起こして行くことの難しさと大変さを感じるのが好きなんだよな、私はきっと。


さて、年末のこの時期になると毎年のことながらやってくる親友の誕生日。
去年も一昨年もずっとずっと変わらず思うことがある。
今年も一緒にやってこれた幸せ。
誕生日を変わらずに祝えるありがたみ。

どちらか片一方が欠けたら私たちの関係は成立しない。

それは今までもこれからも変わらない。
中学を卒業した時、私たちは違う学校に進学することでバラバラになった。
中学の時は、例えば今日喧嘩をしたとしても翌日嫌でも顔を合わせないといけなくて、
鬱陶しいと思うほど一緒にいる時間が長かったのに。

でも人は良くも悪くも環境に適応するようにできていて、
高校に入りたての頃は頻繁に取り合っていた連絡もいつしか、
一ヶ月、半年、一年に一回と時間が空くようになり、
新しい生活がそれぞれに楽しく充実していてお互いの存在が記憶の中から忘れさられつつあった。

そんな時にたまたま再会するきっかけがあったことが私たちを今につなげている。


ずっと長年彼女に伝えていることがある。
私たちが変わらず親友であり続ける定義。
考えたことある?
沢山いる友達の中から親友を選ぶ時、どうやって選ぶか。その定義。

もし私が地球の裏側で生活していて万が一何かあった時、SOS信号を投げかけたら、
きっと君は誰よりも先にどこまででも駆けつけてくれるだろうと確信できる。
そして私もどんな状況下であっても同じように行動すると無条件に誓える。
それが私の定義なんだよ。

だからね、そんな大切な人に、
心を込めて私の感謝の気持ちを贈るイベントが誕生日。


届いたかな?
無条件に信じ合える仲間がいること、
困った時、辛い時何も聞かず黙って駆けつけてくれて大丈夫だよって笑ってくれる存在。

今年贈りたかった私からの一番のプレゼントはそれに尽きるかな。

頼っていいんだよ。
すごく辛いとき、悲しいとき、しんどいとき、私だけじゃない。
彼らはいつも君のそばにいる。

心は数字で表せないから伝える側も受け取る側もなかなか難しいよね。
一番手っ取り早く伝えられるものが物質的な贈り物だと思うんだけど、
それだけでは全然足りないこともあるし、不十分なこともある。


暖かい食事やケーキを囲んで他愛もない会話を交わしながら流れていくゆったりとした時間は、
まるで生まれてくるずっとずっと前からこの世界で
私たちが出会うことが決まっていたのではないかと確信できるほど、
当たり前の穏やかで柔らかな時間だった。

人はいつかのタイミングで約束した人と約束した場所で出会うことになっている。

何か意味があってその場所で出会って、
その意味が終われば自然と消え去っていく。
そしてまた必要なタイミングがくるとどこかで再会するんだ。

だからね、どんな小さなことでもそこにはきっと理由があって、
その本質を理解すること自体が大事なんだよ。

当たり前の幸せって実は沢山転がってて、
だけど人生というあまりにも長い旅路の中で所々に散りばめられ過ぎていて
それが特別なものなんだってなかなか気がつかないだけなんだ。

生と死、出会いと別れ、
そうやって一見相反する二つの出来事は常に対になっている定めのように
私たちの前に現れる。

何かが終わるとき、人と離れる時はすごく悲しく感じるけれど、
そこの部分は卒業したということ。
そこで学ぶべきことは終わって次に学ばなきゃいけないことがあるってゆうこと。
出会うべき人がいて、出会うべき場所に向かう時が来たってこと。
それを素直に受け止めるんだよ。

だからさ、私たちはその日がくるまで、
それがいつになるのか分からないけど、さよならなんだよ!って日がくるまでは
ずっとずっと一緒にいればいい。
それが明日なのか、私たちの命が尽きる時なのかはわからない。

でもいつかそんな日がきたら、悲しまないでそこから先の幸せのことだけを考えるんだよ。
もしも...もしもの話だけどね。


人生に必要な相手なら絶対に離れることはない。
それが確信できるのはきっと、私たち全員が人生のここのポイントで集合できたから。
待ち合わせ時間に誰一人遅れることなく、約束した場所で会えたからだね。

私が伝えたいその言葉の本当の意味、
きっと今の君になら伝わる気がするんだよ。

私は嬉しくて、ホントにただ嬉しくて
とても幸せな気分で親友の誕生日を過ごしたのでした。
何だろうってずっと思ってた。

すごく大きなイメージで、シンデレラストーリーってゆうか、
ほんのごく一部の人しか実現できないようなもののことを言うのかな?ってずっと思ってた。

でも、違ったんだよ。
どんな小さなことでも夢になり得るってこと、わかったんだ!

だって私が出会った私の夢はすごく普通の、すごく当たり前の
きっと誰でも考えるようなことだろうから。

それでも、何かと真剣に向き合う時、それは大きな夢になる。

共通の目標を追いかける仲間とぶつかって喧嘩して和解してまたぶつかる。
お互いの頭のなかにある別々のアイディアが議論を呼び、
融合する時と、決して交われない時がある。
悲しくなって涙が出てきてすべて投げ出したくなる時もある。

でも、それが夢なんだよ。
叶えた先にはきっと現実が待っているから、
こうしてそこに向かって行く一つ一つのステップが夢なんだ。

叶えた先に夢があるんじゃなくてさ、
叶えるステップが夢なんだなって。

そんなことを考えた2連休初日。
ささやかな、小さな夢なのかもしれないけどさ、
絶対に見せてあげるよ。
普通の、ごく普通の女の子(ってゆう歳でもないけど)のハッピーエンド。
そんな私の夢物語も今後ブログに記して行きます。
私の人生の軌跡としてね。

頑張ってる誰かに届くといいな。
でぃーにじゅうさん?
なんだそれ?

2年前初めてこのイベントを知った時に一番最初に思ったことだった。

正確には D23 EXPO
全部かっこよく英語で読みます。

抽選で当たった人のみ参加することが許される知る人ぞ知るディズニーの世界規模のイベント。


2年前のイベント当日、私は舞浜にいて人並みに飲まれ流されて気づけばイベント会場の前に立っていた。
魔法使いのミッキーの装飾が施された会場にたくさんの人が吸い込まれていく様子をただボケーっと眺めていたのだ。
しばらく考えたのち、

「誰でも入れるみたいだね、みんな入ってくし。行ってみようか。」

と、日頃の生活の中で東京という騒々しい街で生活しているにもかかわらず、つかの間の休日だと言うのに果敢にも溢れかえる人だかりの中に飛び込む選択肢を選んだ。

正確には誰でも入って行けるのではなく、みんなそのEXPOを見にきている人たちだったと言う件に関してはおそらく説明するまでもないだろう。

二人でイベント会場の入り口のところまでトコトコ歩いていくとそこのスタッフらしき人に止められた。素通りしようとする我々を見て、ちょいちょい!とでも言いたげに飛び出してきた光景を今でも覚えている。

「チケットはお持ちですか?」

「は?」

チケットとな。

もっとらん。そんなもの持っているはずがないではないか。
そもそもこれがなんの人だかりなのかもわからんのだから。

私はしばしば自分の頭上にそびえる魔法使いのミッキーの顔を眺めていた。
しかし、でかいな.....と言う思いを抱えて。

意を決して聞いてみた。

「そのチケットはどこで買えますか?」

「当日券の販売はございません。抽選でのご応募になります。」

「聞いてません」

「ですから.....」

とくだらないやり取りを散々ごねた後、容赦なく追い出された。

それが私とでぃーにじゅうさんの初めての出会いだった。


それから2年という時を経て、先日私はD23のイベントに参加することができた。
隣接するディズニーのオフィシャルホテルと舞浜アンフィシアターを展示会場として行われるこのイベントを通して私が率直に感じたこと。
ディズニーには不思議な力がある......
誰もが知っている結論でしかないはずなのになぜ人はまたその結論を見たくなるのだろう。

時間を超え、世代を超え、国を超えて、笑顔というパスポートがあれば誰もが楽しめる夢と魔法の王国。誰もが幸せになれるおとぎの国。

何十年、何百年経っても廃れないもの、人々から愛されるものには必ず理由がある。

私が考えるファンタジーとは、非常に現実的な人間が作り出した非現実な空間だと認識している。
なぜなら、そもそも現実を捉えられない人間が仮想の空間など作り出せるはずがないのだから。
だからこそ我々はその世界の虜になるのだ。

今回はあっさり書いてしまったが、ディズニーが織りなす本当の現実とファンタジーに関して私が考えることは後々書いていくことにしよう。

個人的に趣味の範囲は広く、ディズニーも現実世界を捉える意味では興味の対象となるのは事実。

ただ、子供も大人も時間を忘れてがむしゃらに楽しめる世界を作りたいと考えたウォルト・ディズニーはいつしか、自分の夢が商業目的として使われてしまうことを知って死んでいったのだろうか。
このチケットなら最高の待遇を受けることができる、このチケットではここまでしか見ることができない。
区切りをつけることでゲストはもっと、もっととお金を出そうとする。
ビジネスとしては成り立ってはいるが、果たしてそれをウォルト自身は求めていたのか疑問が残る。
確かにビジネスなんだよ、ビジネスなんだが.......

やはりほらね、とっても現実的なんだよ。

相反する二面性を見たイベントであった。
次は純粋にファンタジーについて語りたいな。

過去を振り返って

あの時こうしていれば...と後悔することが時々ある。
 
この瞬間が過去の出来事になってしまう恐怖。
 
いつも私の胸にある。
 
「昔みたいに話してよ。前みたいに笑ってよ。
 って泣きたくなる時が必ず来る。
 あの時、こんな話をして2人で笑ったねって
 懐かしく振り返る日が必ず来るから。
 今と言う時間を大切にしていこうね。」
 
今日言われた言葉。
 
人生は、二度と戻らない
「今」と言う瞬間の連続帯なんだ。
 
ふと頭に浮かんでは消えていく数々の思い出。
 
人間の記憶は儚くて
「楽しかった記憶」さえ、
いつか忘れてしまうこともある。
 
だからね、
 
みんな同じなんだよ。
 
限られた時間の中で
一緒にいられる事に、ただそれだけの事が
どんなに幸せか。
 
どんな言葉も出来事も
繰り返すことの出来ない
かけがえのない思い出なんだ。
 
そう思えた時、
明日は今日より明るいんじゃないかな。