とにかく素晴らしい!

 

久々、本当に久々に、

睡眠時間を削ってまでもこの世界観に浸っていたいと

思った1冊だった。

 

世の中があまりにも便利になりすぎて、

逆に生きづらさを感じる今の時代に向けたメッセージ。

 

 

日常生活の中に居場所がなかった主人公、こころの部屋で、

突然七色に光りだした鏡。

 

誘われるように鏡をくぐり抜けた先に待つ不思議な城には、

こころの他に、年の近い6人の中学生が集められていた。

 

学年も、雰囲気も、性格も、個性も異なる

7人の中学生が織りなす、

どこまでも現実的で繊細な人間模様と、

それを取り巻く数々のファンタジーが交差する世界。

 

時間を超越して、

空間をも超越して、

一人一人の胸に眠る、

本当に大切なものが何かを教えてくれる作品。

 

 

なぜこの7人が?

その謎に触れるとき、

 

「人生」や「生きる」ことに大切な

答えにきっとたどり着けるはず。

 

偶然ではない必然の繰り返しで、

世の中やそれぞれの人生は常に

ぐるぐる回ってると言うけれど、

 

なるほど、そう言うことか!と、

私自身も深く共感し、心から納得できる物語だった。

 

 

クライマックスが近づけば近づくほど、

震えるほどに1つ1つのピースがピタリと繋がる。

謎が一気に解き明かされていく。

 

最後の瞬間には、涙が止まらず、全身に鳥肌がたつ。

その先にじわーっと広がる暖かい充実感。

 

絶対、映画化されると思う!

 

 

幸せな読書を体験したい!と言う全ての方に、

自信を持ってお勧めする圧巻の1冊です。

 

 

かがみの孤城 かがみの孤城
 
Amazon

 

 

 

そう強く思えること、私は幸せだと思う。

過去を否定してみたり、
あの時の自分は嫌いだとか、

もしかしたら今の自分が嫌いとか、
そう思ってる人がいるかもしれない。

でも、違う。

自分の人生だから、
どんな過去も今の自分も未来の自分も、
自分の幸せに自分で責任を持つことって本当大事。

そう思えるきっかけをありがとう。
私の本当の意味での同期へ。

もうこの先二度と出会うことはないだろう。
君みたいな同期。

昨日久しぶりに会った。
新卒で入った会社の同期。

そして、一緒に会社に乗り込んだ。
私のことを知るメンバーはほとんど入れ替わり、
数人しかいないけど、

一緒に働いた後輩や先輩たちは
いつでも私たちを見かけると
走り寄って来てくれる。

二人が来ると、すぐわかる。
うるさいって。

そうゆう扱いも変わらない。

当時私たちは大学を卒業してすぐで、
「社会」と言われるものが何なのかもわからず、

学生と言う守られた立場でやっていたアルバイトとは違う、
「お金をもらうこと」「仕事を任されること」の責任も
よくわからないまま、社会人になった。

当時の年齢22歳。

20代後半から30代のおねーさんたちに
沢山可愛がってもらい、
私たちはすくすくとのびのびと育った。

会社の飲み会の席でも、
止まらぬ食欲の後輩(私たち)を前に、
年上のねーさんたちは、これも食べな、これもいいよ、と
唐揚げやらポテトやらを腹いっぱい与えてくれて、本当に幸せで。

30代になったら食べたくても胃もたれしちゃうから、
こーゆうもの食べれなくなるし、
食欲もなくなってくるものだから今のうちに沢山食べておきなさいと。

同期同士で喧嘩をした時も、
いつも温かい目で見守りつつ、
必要があればそっと仲直りの手助けをしてくれた。

入社当初は、言葉使い一つ、態度一つ、知識一つ、
そんな小さいことに毎日注意を受けて、
愛情を持って叱ってくれる上司の気持ちにも気付かず、

あの時の私たちは「あのBBAまぢうっさいわ!」と思っていた
当時の上司の年齢を、すでに今の私たちは超えている。

その事実が面白くもあり、
歯がゆくもあり…

昨日の会話の中でとりあえず笑い、
それから言った。

「私たちの今の年齢ってさ、当時22歳の私たちから見たら、
 もっと大人かと思ったけど、いざ、自分がなってみると全然だよね。
 上司だから偉い人って感じだったけど、全然なんだろうね、本人は」

そう。
同じ立場や同じ年齢になってみて初めてわかる世界や、環境、気持ち、
そーゆうものって実はとっても多くて、
そんなものの寄せ集めが「生きる」ってことだったりね。

子供の立場からみた世界と、
大人の立場からみた世界は違うし、

学生のアルバイトってゆう立場からみる仕事と、
社員ってゆう立場からみる仕事でも、

その目に映る景色や色彩は違うものだったりさ。


あの場所で出会ったみんながいなかったら…
あの経験がなかったら…
今の私はどうなっていたのかな。

また違う経験や思い出をきっと沢山持っていただろうし、
まだ見ぬ自分の可能性も開花させたんだろうけど、

自分で選んだ「過去」の過ぎ去った時間が、
私は大好きで、
ちょっと疲れたな、あ、みんなに会いに行こう!と
里帰りできるその環境がいつも私の背中を押してくれる。

そう、
どんな時も後悔しないように、
ちゃんと前だけ向いてまっすぐに生きていけるように、
どこにいっても変わらずに自分が自分であるために!

自分の幸せに自分で責任を持つこと、
他の誰も代わることのできない自分だけの人生を、
主人公の気持ちで演じきること!

生きてる上では大事なことだと思うんだよ。


窓の外に打ち付ける台風9号の雨をみながら、
ボケーッと昨日の出来事を記してみた。
7月半ばの朝、
焼け付くような暑さの中、
駅に向かって自転車を飛ばしていた。

昔から、ホント学生の頃からの癖だ。

「ギリギリ主義」

あと5分早く家を出れば、
真夏の暑さの中、汗だくになって
電車に飛び乗ることもないのはわかってる。

でも、1時間早く起きても、
2時間早く起きても、
なぜかいつも、ギリギリになる。

わかる人はきっとわかってくれるだろう。
この気持ち。

まぁ、そんなことが言いたいわけではなくて、
7月半ばのある日の朝、
自転車を飛ばしていたはずのわたしが、

突然道路のど真ん中で、
自転車を飛び降り、乗り捨て、
ある場所に駆け出した。

その瞬間、わたしの真後ろを走っていた車が、
ものすごい勢いで急ブレーキを踏んだのは、
目の隅のほうで捉えていた。


(自転車の交通ルールが定められてから、
 われわれ自転車族は非常に際どい立場となっており、
 歩道を走ってもイエローカードを切られる、
 車道を走っていても車の運転手さんに迷惑がられる存在だ。

 そのため、どこを走っても同じだろうと思い、
 わたしは車道のど真ん中を走っている。
 かっこ、小さい道路に限る)

でもわたしは思うよりも先に体が動いてしまう体質で、

とにかく、その道路の白線の内側をトロトロと歩いている
ミンミンゼミを救わなければならないと思いたつタイミングと、

自転車を乗り捨てて駆け寄るタイミングはほぼ同時だったことだけ
言い訳としてここに記しておく。
理由もなく自転車を乗り捨てたわけではないのだ。

おそらくそのセミは地上に出てきたばかりだ。
太陽の光に慣れていないのかヨロヨロとあるいている。

近くまで駆け寄り指で背中をつまんでも、
ジーーーーーとも鳴かなければ、
暴れもしない。
なすがままと言った様子でただ静かにわたしにつままれていた。

突然自分の体が中に浮いたことだけは感じたのか、
スローモーションのようにゆっくりと、
手足をモゴモゴと動かしていた。

夏になるとやかましいほど、
外で鳴いているセミをみて、
わたしたちは疑いもせずに、
セミは地上の昆虫だと思い込んでいる。

しかし、彼らは地上で生活する時間より、
地中に潜って生活する時間がとにかく長いのだ。

6〜7年地中で生活し、
死期が近づくと地上に出てきて
子孫を残すために鳴きまくり、
自分の使命を全うすると
10日ほどの命で死んでいく。

まぁつまりは、地上の生き物ではなく、
地下に生活環境を置く、
地中生物であることはおそらく間違いない。

6年も7年も経てば、
街の景色も人も変わり移り行く。

6年前に初めてランドセルを背負った少年たちは、
真新しい制服に身を包み、
中学生になっているほどの時間が流れる。

6年前は土がむき出しの地面だったところでも、
6年後も変わらないとは限らない。

6年経ったらその場所には新しい家ができたり、
コンクリートの道路になってしまっていることだって全然ある。

もしかしたら一生地上を知ることなく、
木に止まって鳴くこともなく、
太陽の光をあびることもなく、
仲間に出会うことも、
子孫を残すこともなく死んでゆく命もある中、

地上に出てくることのできるセミがいるのは、
おそらくは、6年前と変わらぬ姿を止めた場所の地下で
たまたま生活をしていたこと、
それ自体がもはや奇跡に近い出来事であるなぁと思うと、

助けない理由などわたしの中には存在しなかった。

セミを車道から拾い上げて少し離れた花壇へ返し、
後ろを振り返ると、
わたしが乗り捨てた自転車の後ろで、
車が大渋滞していた。

一番前の車は老人ホームのお迎えの車で、
運転手のお兄さんと数人のおじいちゃんおばあちゃんが、
わたしの行動の一部始終を見守るように見ており、
その後ろの車の運転手さんたちは、
イライラしたような顔つきでこちらの様子を見ていた。

(おじいちゃん、おばあちゃん、急ブレーキごめん)

平日の出社の時間帯に大変失礼しました!と思いつつも、
内心、セミの命と出社の時間とどっちが大事だよ!
わたしだって、電車に間に合うかどうかの瀬戸際ではあるんだぞ!
と思いながら、再び自転車を走らせた。


この世界に生かされている命は全て、
どんなものでも尊く、
意味のある、価値のある大切な存在であること。

それを強く感じる今日この頃。

人間だからひき逃げはダメ。
セミやその他の虫や花ならいいのか。

そうじゃないと思うんだよ。

人間でも、
犬でも猫でも、
虫でも木でも花でも自然でも、

同じ生かされてる命に、
重いも軽いもないんじゃないかな、と。

セミはわたしの人生を生きられない。
それと同じようにわたしはセミの命を生きることはできない。

だからこそ、

それぞれの立場で
やらなきゃいけないことがあって、
生まれてくるものには全て使命がある。

それを全うしていきたいと思うんだよ。
そして誰かのそれも守りたいと思うんだよ。

わたしが助けたあの子はきっと、
自分自身の使命を全うして、
天の高い高いところに旅立っていったことだろう。

そんなことをふと考える今日この頃でした。


窓の外、高速道路の入り口が見える。

どこか遠くへ連れてってくれる、
そのエントランスゲートを見るのが好きだ。

車が1台、また1台と入り口を通っていく。
どこにいくのだろうか。

車の赤いランプが、
夜の夜景となって世界に溶け込みながら、
それぞれに目指す場所に向かってく。

その姿を見ているとわたしはなぜか唐突に
文章を書きたい衝動にかられ、
パソコンを開くのだ。


さて、みなさん、ごきげんよう。

今日は7月3日、波の日ですね。

数年前、当時学生だったわたしが5年間
働いた某テーマパークの某所では、

わりと、わりとな、知る人ぞ知る、
イベントの日だったなぁとふと思い出すのでした。

大学生のときは、早く大人になりたいと思ってた。

大人になったら、
自分でできることが増えるなぁとか、

大人になったら知らない世界を
沢山知ることができるんだろうなぁとか、
そんなことを漠然と考えていた。

でも、今思うと、
ただ過ぎ去っていった時間の全て、

出会った人、
自分が置かれた立場や境遇
周りの環境、

そんな一つ一つが、
二度と巻き戻すことのできない、
かけがえのない時間だったことを知る。

例えば今日、
2016年7月3日(日)という1日。

地球は今、
46億歳といわれているが、

46億年続く地球の歴史の中で、
今日という1日は二度と繰り返すことはできない。

今日と同じメンバーで、
(自分の周りの人もだし、地球の人口的にも)
今日と同じ環境で、
(地球環境のことも含め)
今日と同じ時間を過ごすことはできない。

初めてで、
そして自分にとっても、
地球にとっても最後の1日。

人の命もそれと同じ。

うまくいく1日も、
うまくいかない1日も、

その全部、
どんな出来事も全部、

わたしたちは、
かけがえのない有限の時間の中を走っているんだ。


わたしがそう思ったきっかけは、
つい最近、「金曜ロードショー」で、
「ハリーポッターシリーズ」の放送をやっているのを見たことだ。

2001年に「賢者の石」が公開されてから10年、
当時中学生だったわたしたちは、
「ハリーポッター」の作品とともに成長し、

「ハリーポッターシリーズ」が終わりを迎えるとともに、
ファンタジーの世界から現実を見るようになる。

つまり、漠然といいなぁと思っていた「大人」に、
ある意味他人事のように捉えていた「大人」に、
自分がなる時代を迎えた。

「ハリーポッターシリーズ」が終わりを迎えるとき、
ハリー役のダニエル・ラドクリフ、
ロン役のルパート・グリント、
ハーマイオニー役のエマ・ワトソンは、

作品に出演できたことに対する感謝の気持ち、
そして、作品のファンが、
ずっとファンでいてくれたことに対する
感謝の気持ちを話していた。

そして、作品に関わる家族同然のメンバーで、
一緒に走ってきた10年という日々の、

一つ一つがかけがえのない瞬間で、
全部が楽しく、
何を失っても、絶対に忘れたくない思い出になったと、
そしてその作品そのものが自分の人生そのものだったとも話していた。

一つの作品が終わるたび、
「それじゃぁ、また次の作品で」とか、
「また半年後に会おう」とか、
そんな別れの挨拶を交わしていたのに、

シリーズ自体が終わりを迎えるとき、
いつもなら当たり前に半年経てば、
いつもの撮影現場で
いつものメンバーで顔をあわせることができていたのに、
その当たり前が当たり前でなくなること、
本当の「終わり」であることを知る。

そこで初めて、
自分たちが走ってきた時間は、
二度と繰り返すことのできない、
かけがえのない時間だったこと、

同じ気持ちで、
同じメンバーで、
同じ時間を、
同じ場所で過ごせることは、

この一つの命を生きる、
自分の人生の中で、
二度とないことを誰もが知ることになった。

10年にわたり、
わたしたちを魔法の国に誘ってくれた、
「ハリーポッター」作品を久々にテレビで見ながら、
そんなことをふと感慨深く考えていた。

きっと、多分だけど、
作品の撮影をしているときは、
彼らだって、「嫌だ!」「辞めたい!」と思うこと、
沢山あったと思う。

渦中にいるときは、
あまりに辛すぎる日々も、

過ぎ去ってみると実はかけがえのない時間だったと、
ふと思えるときがくる。

学生のとき、漠然と考えていたわたしにとっての「大人」のように、
未来はいつでも明るくて希望に溢れていて、

過ぎ去った過去も、
「悪くなかったな」「いい時間だったな」と思えるのなら、

渦中、つまり「今」という時間も、
かけがえのない時間なんじゃないかなってゆう視点で捉えられたら、
きっと何かがかわるんじゃないかな、と思えたのでした。

高速道路の入り口のように、
いつでもどこかに繋がってるゲートは開いてて、

そこに飛び込むかどうかは自分自身で。

だからわたしは負けないんだよ。
いつかこの言葉が、真実に変わる日まで。

ブータン...
そこは、
母と私が共通して行ってみたいと思っている国。

5月の母の日のプレゼントで、
兼ねてから母が行きたいと言っていた、

上野の森美術館で
5月21日~7月18日までの期間開催されている
「ブータンー幸せに生きるためのヒントー」のペアチケットをあげた。
(母の日の時はまだ開催はスタートしていなかったので前売りチケットだ)

今まで母の日や誕生日のプレゼントで、
マッサージ機やらスワロフスキーのピアスやら、
ありとあらゆるものをプレゼントしてきたのに、

今回の史上初に安いプレゼントを見た母が、
この上なく喜んでいる顔を見て、

プレゼントは、値段じゃないな。
と思った。

そして、きれいごとでプレゼントは「心」だ、
と言うのを聞いたこともあるが、
実はそれも真実には程遠く…

プレゼントはタイミングだ。

人の心は数値では表せないから、
なんとも難しいところではあるけれど、

口で話す言葉や表情で表現する感情の、
もっと奥深くに、

その人の本当の大切なものや興味の対象があるのだ。

そこにピンポイントで当たった時、
人は本当に心からの笑みを見せるのだ。

結婚のプロポーズだって、
早すぎてもドン引きされてしまうし、
遅すぎてもタイミングがずれてしまう、

つまり、二つ返事で「はい!」といってほしいなら、
指輪の形や色味や値段より、

タイミングを考えろってことよ。
人にあげるプレゼントも所詮それと同じこと。

笑顔で喜んでほしいなら、
高いものである必要も、
希少価値の高いものである必要も、
今の流行りのものである必要もない、

「今」と言うその人自身の中にある
タイミングに合うものをプレゼントするのが
一番効果が高く、喜んでもらいやすい。

今回、よーくわかったよ。
1枚1000円、ペアで2000円の
前売りチケットが今までで一番嬉しいなんて、
うそでしょ!!

去年あげた2万円のスワロフスキーのピアスより嬉しいの?
私自身、心を込めて選んだプレゼントだったよ?
とちょっとがっかりした瞬間でもあった。

そして、もっと残念なのは、
このチケットをあげようと考えたのは、
私ではなく大親友のMiaの意見だったこと笑

Miaはよく夕飯を食べにうちにくる。

家族同然の付き合いで、
うちの母も娘が二人いる気分、といつも言っている。

その夕飯の席で、
母がブータン展にいきたいと言っていたのを、
聞き、それを覚えていたのだという。

私はすっかり忘れていたことだった。

そうゆうところ、マメだなと思う。


さて母はというと、その私があげたチケットを
つい先日使って、
友達とブータン展に行ってきたそうだ。

結論は、すごく良かった。
あなたも行ってみるといいわよ、と、
お土産のポストカードと、
白檀の匂いのついた栞を手渡された。


ブータン…
そこは、ヒマラヤ山脈の南に位置する国。
日本の九州とほぼ同じ面積をもち、
日本と同じように四季のある国。

そして、何よりのポイントは、
2005年の国勢調査で、
国民の97%が「幸せ」と回答し、
世界一幸せな国と言われていること。

無理な開発をせず、
美しく豊かな自然環境が残り、
人々の暮らしの中にある伝統文化や思想を、
何より大切に生活する質素な人たち。

そんな国に、私も母も大きな関心を寄せている。

ブータンの生活様式や、
伝統文化、思想、ブータン仏教など、
たくさんの展示品を見た母が、

唯一見れなかったのが、6月5日まで期間限定展示されていた、
国蝶ブータンシボリアゲハの標本。

漆黒の羽に、白と赤の模様の入った、
この地域にしか生息しないと言われている
なんとも珍しい蝶だ。
(標本系は私の好きな分野でもあるので私も心底見たかった)

自分がみた展示品の数々を一つ一つ丁寧に説明しながら、
笑顔で話す母の顔をみていて、
私自身も嬉しい気持ちになった。

そしてふと、祈らざるを得なくなった。

国民の97%が幸せと答える「幸せ」が
永遠に続きますように。

そして母に言った。

「文明が発展して技術や便利さを追求した瞬間、
きっと幸せは幸せではなくなってしまうから。

何もなくて、ただ質素で、自然の中で生活している今のブータンだから、
きっと幸せなんだ。

今のまま、ずっと今のまま、
何年たっても変わらずに幸せでいられる国だといいね。」と。

「本当にそうだね」と母も言っていた。

一秒で世界中とつながることができるこの便利な世の中。
人々のくらしは日に日に豊かに贅沢になってく。

それとともに失われていく豊かな心。

何もないから、
人は人と心を通わせなくてはいけなくて、

何もないから、
自然を見て聞いて感じていられることも
紛れもない真実で

何もないから、
なんでもない当たり前の日常に散りばめられた
当たり前のなんでもない小さなことに
幸せを感じられる心を持ってる。

わたしはそう思うんだ。


騒々しい東京と言う町では、
夜空を見上げたって星一つ見えなくて、

代わりに文明の発展とともに作られた
人工的な町の中の星をみてる。

高層ビルは夜の22時だというのに、
下から上までびっちりとエレクトリックな光を放ってる。

町行く車もせわしなくヘッドライトをちらつかせながら、
自然を一つ一つ壊していることに誰も気づかない。

気づかないんじゃない。
気付けないんだ。

あまりにも便利になりすぎて、
テレビやら携帯やらゲームやら
世の中と繋がっていることに必死になりすぎて
そんなことに気づく暇もない。

そんな感情や感覚が当たり前の世界で生きていると、
人は不満や不平、足りない部分にばかり目が行くようになってしまう。
まるでそれこそが幸せを追い求める儀式であるように。

日本は武器を持ってはいけないから
環境的、物質的には戦争のない国だけど、
人の心はいつも乾いてて、
心の中で戦争を繰り広げてる。

日本に対する批判ではない。
ただ、日本にしかないもの、ブータンにしかないもの。

時代とともに生きるには、
変わっていかなければいけなくて、

日本が発展していくためには、
このネットワークや技術、便利さ、快適さ、
これってきっと必須だった。

でも、どんなに時代が変わっても、
変わらずに大切に守らなければいけないものもある。

変わらないことが正解ってゆうこともある。

だから、ブータンは「世界一幸せな国」!
それを何年何十年経って世界がどんなに変わっても、
ずっとずっと変わらずに
追求していってほしいなと思ったのでした。

あー、長くなっちゃったな。
夕飯にしよう!