「ジュラシックワールドの最初に出てくる
カラスのことなんだけどさ、
カラスの先祖はTレックスって言われてるじゃない?
だから、
最後の戦いに勝ち残った
Tレックスの子孫を匂わせる設定として
関連付けてのオープニングなんじゃないかな。
結構細かいところにこだわりや
関連性を持たせる映画の作り方をする監督だから
オープニングのカラスも
なんらかの関連性があるような気がするんだよ。」
「その視点でみてなかった!
単なるジョークかと思ってた。
レックスは進化の過程で最大級になったけど、
もとはトカゲ並みの大きさで、
進化してその一族が一部鳥類に進化してるわけで、
あり得る話だね。
俺はレクシィーがスピノサウルスの骨格を砕いて
登場したシーンが気に入ってる。」
これは私と幼馴染の会話である。
なんの前触れもなく、
突如として始まる議論。
基本的に持ちかけるのは大概私だ。
ここでポイントとなるのは、
映画のあらすじや設定、
登場人物や俳優などの説明はすべて割愛となること。
つまり、
この場合の「ジュラシックワールド」は
すでに観ていること、
意識を共有していることが
まずは大前提としてあるのだ。
ちなみに、
一緒に観に行ったわけではない。
相手が何回、
誰といつ観に行ったかはしらないし、
そんな事実さえ、実はどうでもいい。
問題なのは、「観ている」ということが当たり前であること。
その信頼関係だ。
幼稚園からの付き合いになると、
もはや
「あの映画みた?」など聞くまでもない。
さらに会話は続く。
「スピノサウルスに負けてるからね、3で。
多分だけど監督は、
Tレックスが恐竜界の王者として
君臨してるという感覚を
否定したかったんだと思うんだよね。
私たちの固定観念でもある、
最強の恐竜=Tレックス、
という認識を
裏切りたかったんだろうね。
スピノサウルスもそうだし、
今回のモササウルスも
インドミナスレックスもそうなんだけど、
「一番強いもの」が
なんだか分からなくしてる。
どれも一番になる可能性があり、
どれも食われてしまう危険との隣り合わせだから。
つまり、
一番を決めてしまったら、
それ以上でもそれ以下でもないから
物語は終わりだし、
ロマンもなくなってしまう。
見えているものに人はロマンを感じないものだからね。
エンターテイメントとしては、
なんだかわからないけど強い!怖い!
そんな存在を作ることで、
パニック映画の醍醐味を表現しようとしてる。」
「つまり、カオスの表現だよね!
ジュラシックパークからカオス理論を提唱してるから」
というように
ある程度答えが見えてくるまで
永遠と議論がなされるのである。
このとき、
たった一つ私が伝えなかった感想は、
インドミナスレックスってさ、顔でかいよね。
「キメラ恐竜」をつくるなら
もうちょっと見た目.........
反感を買いそうだったからやめた。
頭いいからまぁ許す。
さて、
これはほんの一部の
会話の抜粋であるわけだが、
基本的にはいつも同じ流れだ。
大事なのは
意識や価値観を共有しているということ。
当たり前のレベルで議論ができるということ。
これって実はすごく重要なことで、
「あのときのあれ」で
通じる関係性ってすごく大事なんだよ。
自分が何者かわからなくなったとき、
その人だけはその答えをしってる。
そうゆう人がいると、
人間は自分軸を見失わないんだ。
さぁ、
数日前、Miaから下記のような連絡をもらった。
しかも突然。
まず、謎のタコの写真。
これが、
まぁなんとも愛らしい顔をした半透明の小さなタコの。
そして一文
「ハワイで発見された新種のタコ、可愛くない?」
ここで前提となるのは、
私が間違いなくその話題に食いつくこと。
わかってるんだよ、Miaは。
間違いなく私が食いついてくること。
会話は以下のように続く
「可愛い!なにこいつ!新人?」
「可愛いよね。新人らしい。
キャスパーって呼ばれてるらしい。」
「キャスパー?おばけなの?」
調べた結果、
3月6日にハワイ沖の深海で見つかった「幽霊のような」形をした
驚くほど小さな新種のタコ。
15年の付き合いになると、
似て来るんだよね。感覚が。
どんなに小さなことでも、
気になったことは、
まず意識を共有する。
こんなことに興味を持つんだ、
こうゆうものが好きなんだ。。。
そんな一つ一つが
その人の紛れもない人間性だし、
価値観だから。
そうゆう関係性を
これからもずっと大切にしたいと、
なぜか暖かい空気の中で感じた今日。
春のような気候の中で、
のんびりカフェでランチを取りながら。
いや、
まずはさ、
今日から始まった上野の恐竜展だよ!
これ行かなきゃ絶対まずいって!
そう思っているだろうな。
あの二人もきっと。
その信頼関係こそが私の人生のすべて。
カラスのことなんだけどさ、
カラスの先祖はTレックスって言われてるじゃない?
だから、
最後の戦いに勝ち残った
Tレックスの子孫を匂わせる設定として
関連付けてのオープニングなんじゃないかな。
結構細かいところにこだわりや
関連性を持たせる映画の作り方をする監督だから
オープニングのカラスも
なんらかの関連性があるような気がするんだよ。」
「その視点でみてなかった!
単なるジョークかと思ってた。
レックスは進化の過程で最大級になったけど、
もとはトカゲ並みの大きさで、
進化してその一族が一部鳥類に進化してるわけで、
あり得る話だね。
俺はレクシィーがスピノサウルスの骨格を砕いて
登場したシーンが気に入ってる。」
これは私と幼馴染の会話である。
なんの前触れもなく、
突如として始まる議論。
基本的に持ちかけるのは大概私だ。
ここでポイントとなるのは、
映画のあらすじや設定、
登場人物や俳優などの説明はすべて割愛となること。
つまり、
この場合の「ジュラシックワールド」は
すでに観ていること、
意識を共有していることが
まずは大前提としてあるのだ。
ちなみに、
一緒に観に行ったわけではない。
相手が何回、
誰といつ観に行ったかはしらないし、
そんな事実さえ、実はどうでもいい。
問題なのは、「観ている」ということが当たり前であること。
その信頼関係だ。
幼稚園からの付き合いになると、
もはや
「あの映画みた?」など聞くまでもない。
さらに会話は続く。
「スピノサウルスに負けてるからね、3で。
多分だけど監督は、
Tレックスが恐竜界の王者として
君臨してるという感覚を
否定したかったんだと思うんだよね。
私たちの固定観念でもある、
最強の恐竜=Tレックス、
という認識を
裏切りたかったんだろうね。
スピノサウルスもそうだし、
今回のモササウルスも
インドミナスレックスもそうなんだけど、
「一番強いもの」が
なんだか分からなくしてる。
どれも一番になる可能性があり、
どれも食われてしまう危険との隣り合わせだから。
つまり、
一番を決めてしまったら、
それ以上でもそれ以下でもないから
物語は終わりだし、
ロマンもなくなってしまう。
見えているものに人はロマンを感じないものだからね。
エンターテイメントとしては、
なんだかわからないけど強い!怖い!
そんな存在を作ることで、
パニック映画の醍醐味を表現しようとしてる。」
「つまり、カオスの表現だよね!
ジュラシックパークからカオス理論を提唱してるから」
というように
ある程度答えが見えてくるまで
永遠と議論がなされるのである。
このとき、
たった一つ私が伝えなかった感想は、
インドミナスレックスってさ、顔でかいよね。
「キメラ恐竜」をつくるなら
もうちょっと見た目.........
反感を買いそうだったからやめた。
頭いいからまぁ許す。
さて、
これはほんの一部の
会話の抜粋であるわけだが、
基本的にはいつも同じ流れだ。
大事なのは
意識や価値観を共有しているということ。
当たり前のレベルで議論ができるということ。
これって実はすごく重要なことで、
「あのときのあれ」で
通じる関係性ってすごく大事なんだよ。
自分が何者かわからなくなったとき、
その人だけはその答えをしってる。
そうゆう人がいると、
人間は自分軸を見失わないんだ。
さぁ、
数日前、Miaから下記のような連絡をもらった。
しかも突然。
まず、謎のタコの写真。
これが、
まぁなんとも愛らしい顔をした半透明の小さなタコの。
そして一文
「ハワイで発見された新種のタコ、可愛くない?」
ここで前提となるのは、
私が間違いなくその話題に食いつくこと。
わかってるんだよ、Miaは。
間違いなく私が食いついてくること。
会話は以下のように続く
「可愛い!なにこいつ!新人?」
「可愛いよね。新人らしい。
キャスパーって呼ばれてるらしい。」
「キャスパー?おばけなの?」
調べた結果、
3月6日にハワイ沖の深海で見つかった「幽霊のような」形をした
驚くほど小さな新種のタコ。
15年の付き合いになると、
似て来るんだよね。感覚が。
どんなに小さなことでも、
気になったことは、
まず意識を共有する。
こんなことに興味を持つんだ、
こうゆうものが好きなんだ。。。
そんな一つ一つが
その人の紛れもない人間性だし、
価値観だから。
そうゆう関係性を
これからもずっと大切にしたいと、
なぜか暖かい空気の中で感じた今日。
春のような気候の中で、
のんびりカフェでランチを取りながら。
いや、
まずはさ、
今日から始まった上野の恐竜展だよ!
これ行かなきゃ絶対まずいって!
そう思っているだろうな。
あの二人もきっと。
その信頼関係こそが私の人生のすべて。