こんばんは
DINAIR社エアブラシメイク
認定講師 須美ひろ江です
③
さあさあ
今日もやってまいりました
恐怖の自分さらけ出しブログ
これを自分で解決せんと
個人事業の私の殻は
ぶち破ることができず
ず~っと
虚像を張ったままになり
本当に良い技術を手にでき
幸せな仕事をしている自分と
ギャップができて苦しくなる
その前に毒吐くことをして
もっと幸せな自分に戻り
世の中のためになりたい
*********
どの時期の自分を見つめ直し
浄化させないといけないのかと
ず~っと考えてる
ま~ま~
いっぱいありすぎて💦
本来は仕事のことを
知ってもらいたくて
書き出したブログですが
このままいくと
小説になりそうなほど
ネタがたくさんあるなと・・・
*********
②でも書きました
人生最初の挫折
座っている黒いジャージ
左側のメガネが私です(*´з`)
広島県代表で選抜選手に
なったにもかかわらず
ねんざで選手交代
補欠選手から罵声を浴びせられ
女を怖く感じるようになった
一瞬で1番から奈落の底に
突き落とされた私は自信喪失
今まで個人プレーで友達もいなく
ヒドイやつだったから当然のように
独りぼっちになりクラブもやめました
プライドが許せなかった
ずっと1番だったのに
立場逆転の補欠選手になり
他の人のサポートに回ることが
めちゃくちゃ悔しくて恥ずかしかった
クラブから逃げ出しました
その後は言うまでもなく・・・
女王さま気質だけがずっと残り
何をやっても続かず
どんどんやりたいことも無くなり
目標も全くなく悔しさが怒りに変わり
良い思い出の無い時代を過ごしました
高校受験は親の言う通り
広島県立海田高校へ入学
なんでそこを
選んだのかもわかりません
母親は私のことを自慢してました
だから、ま~いいかって感じです
だから高校生活も
ほとんど覚えてない・・・・
クラスも友達も覚えてない
しいていうなら学校にも行かず
ヘビメタに目覚めてバンド組んでました
じゃんけんで負けて最後に残った
ドラムを担当してました
じゃんけんで負けたけど
楽しくて没頭してた(笑)
それ以外の高校生活は
覚えてないってほんま~?
ほんまなんです。
思い出せないんです。
私はいままでの人生の中で
死に値するほどのことが
なんどかあって・・・
人間はすごく良くできていて
極限の辛さを経験すると
脳が忘れるように記憶を無くすんだって
私、中学の後半から高校
結婚や子育てなど
記憶が無い時間があります
もしかすると記憶が無いじゃなく
丁寧に生きてなかったのかもしれません
ま~いいかって流してることが多かった
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このころの家庭環境にも
衝撃的な出来事がありました
両親とも仕事をしていて
おとうちゃんは国鉄
おかあちゃんは農協窓口
おとうちゃんはほとんど家にいない
おかあちゃんも夜遅くまで働いてました
今思えばお金は
困ってないはずなのに
後々わかったことは
おとうちゃんの豪遊と女遊びで
ほとんどお家にお金を
持って帰らない人だったようです
お菓子も置いてある家じゃなく
小学校に上がった時におかあちゃんから
教えてもらったことは
ご飯の炊き方と目玉焼きの作り方
共働きの両親の帰りが遅い時は
弟に食べさせんちゃい
子供ながらに貧乏なんだな~って
親にも遠慮する私でした
高校生になってバイト初めて
自分のお金を持った時には
気持ちも大きくなっちゃってね~
自分が稼いだんじゃけ~
自分の好きにする!
いつか絶対にクソ田舎から
出てやるんだと
私もイラついた時代です
********
うちの家は一家団欒なんぞという
あったか~い家庭とはかけ離れてた
おとうちゃんは家にいないし
おかあちゃんはいつもイラついてた
おかあちゃんの癒しは弟でした
弟は甘え上手で可愛かった
いつも弟の好きなおかずでご飯は決まり
おかずの大きさも違うほど(笑)
弟に依存していたお母ちゃんでした
お母ちゃんの宝物だった弟が
高校に入った年に
あることをきっかけに
崩れていきました
お父ちゃんが別の女性と
逢引きしている所を
見てしまったんです
荒れ腐った弟は高校退学
そしてお母ちゃんも
なんでか家出してしまい
残された私と弟は2人で
生活する時期がありました
数週間たってお母ちゃんが
戻ってきたと思ったら今度はお父ちゃんが
女と一緒に出て行っちゃった
もう何じゃこの親!
田舎じゃけ~
こんなことしている家庭は
近所にはすぐバレルでしょ
うわさ話のえ~ネタですよ
大人たちはあわれむような顔で
私と弟を見るんです
助けてくれるんじゃなくて見て
自分たちは幸せじゃ~って
人の不幸で安心しよるんです
こんなくそ田舎
ぜったいに出てやるって
高校卒業した次の日に
バイトしたお金で準備した場所へ
実家から出たのは19歳になる春でした
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は~しわい💦💦
6歳から19歳まで
13年間しか生活していない実家です
思い出も本当に少なくて
近所の目を気にしながら
お母ちゃんにも気を使いながら
すごした学生時代でした
昨年、一人で生活している
認知が進みまくってるお父ちゃんと
生活するために実家に戻ることを決めました
そりゃ~
帰りとう無かったです
田舎じゃし近所がめんどくさい
どんどんボケていく
認知のお父ちゃんを見るのも
メンタルが落ちること間違いない
帰りたくない理由は
こんな幼少期にあったんだなと
根が深いですね・・・・
そして私はどんどん女子の
コミュニティが苦手になっていく
罵声を投げられたのも同級生の女子
憐れんでいるようでうわさにしてた
近所のおばちゃんたち
最大の苦手意識は母親です
人生はちょっとの言葉と気持ちで
変わるんじゃろうね