こんばんは

DINAIR社エアブラシメイク

認定講師 須美ひろ江です

 

 

 

 

 

さあさあ

今日もやってまいりました

恐怖の自分さらけ出しブログ

 

 

 

これを自分で解決せんと

個人事業の私の殻は

ぶち破ることができず

 

 

 

 

ず~っと

虚像を張ったままになり

 

 

 

本当に良い技術を手にでき

幸せな仕事をしている自分と

ギャップができて苦しくなる

 

 

 

その前に毒吐くことをして

もっと幸せな自分に戻り

世の中のためになりたい

 

 

 

 

 

 

 

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どの時期の自分を見つめ直し

浄化させないといけないのかと

ず~っと考えてる

 

 

 

ま~ま~

いっぱいありすぎて💦

 

 

 

本来は仕事のことを

知ってもらいたくて

書き出したブログですが

 

 

 

このままいくと

小説になりそうなほど

ネタがたくさんあるなと・・・

 

 

 

 

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②でも書きました

人生最初の挫折

 

 

 

 

 

座っている黒いジャージ

左側のメガネが私です(*´з`)

 

 

広島県代表で選抜選手に

なったにもかかわらず

ねんざで選手交代

 

 

 

補欠選手から罵声を浴びせられ

女を怖く感じるようになった

 

 

 

一瞬で1番から奈落の底に

突き落とされた私は自信喪失

 

 

 

今まで個人プレーで友達もいなく

ヒドイやつだったから当然のように

独りぼっちになりクラブもやめました

 

 

 

 

プライドが許せなかった

ずっと1番だったのに

立場逆転の補欠選手になり

 

 

 

 

他の人のサポートに回ることが

めちゃくちゃ悔しくて恥ずかしかった

クラブから逃げ出しました

 

 

 

その後は言うまでもなく・・・

女王さま気質だけがずっと残り

何をやっても続かず

 

 

 

どんどんやりたいことも無くなり

目標も全くなく悔しさが怒りに変わり

良い思い出の無い時代を過ごしました

 

 

 

高校受験は親の言う通り

広島県立海田高校へ入学

 

 

 

なんでそこを

選んだのかもわかりません

 

 

 

母親は私のことを自慢してました

だから、ま~いいかって感じです

 

 

 

だから高校生活も

ほとんど覚えてない・・・・

クラスも友達も覚えてない

 

 

 

しいていうなら学校にも行かず

ヘビメタに目覚めてバンド組んでました

 

 

 

じゃんけんで負けて最後に残った

ドラムを担当してました

じゃんけんで負けたけど

楽しくて没頭してた(笑)

 

 

 

 

それ以外の高校生活は

覚えてないってほんま~?

ほんまなんです。

 

 

 

 

思い出せないんです。

 

 

 

私はいままでの人生の中で

死に値するほどのことが

なんどかあって・・・

 

 

 

人間はすごく良くできていて

極限の辛さを経験すると

脳が忘れるように記憶を無くすんだって

 

 

 

 

私、中学の後半から高校

結婚や子育てなど

記憶が無い時間があります

 

 

 

 

もしかすると記憶が無いじゃなく

丁寧に生きてなかったのかもしれません

ま~いいかって流してることが多かった

 

 

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このころの家庭環境にも

衝撃的な出来事がありました

 

 

 

 

両親とも仕事をしていて

おとうちゃんは国鉄

おかあちゃんは農協窓口

 

 

 

おとうちゃんはほとんど家にいない

おかあちゃんも夜遅くまで働いてました

 

 

 

 

今思えばお金は

困ってないはずなのに

後々わかったことは

 

 

おとうちゃんの豪遊と女遊びで

ほとんどお家にお金を

持って帰らない人だったようです

 

 

 

お菓子も置いてある家じゃなく

小学校に上がった時におかあちゃんから

教えてもらったことは

 

 

 

ご飯の炊き方と目玉焼きの作り方

共働きの両親の帰りが遅い時は

弟に食べさせんちゃい

 

 

 

子供ながらに貧乏なんだな~って

親にも遠慮する私でした

 

 

 

 

高校生になってバイト初めて

自分のお金を持った時には

気持ちも大きくなっちゃってね~

 

 

 

自分が稼いだんじゃけ~

自分の好きにする!

 

 

 

いつか絶対にクソ田舎から

出てやるんだと

私もイラついた時代です

 

 

 

********

 

 

 

うちの家は一家団欒なんぞという

あったか~い家庭とはかけ離れてた

 

 

 

おとうちゃんは家にいないし

おかあちゃんはいつもイラついてた

 

 

おかあちゃんの癒しは弟でした

弟は甘え上手で可愛かった

 

 

 

いつも弟の好きなおかずでご飯は決まり

おかずの大きさも違うほど(笑)

弟に依存していたお母ちゃんでした

 

 

 

お母ちゃんの宝物だった弟が

高校に入った年に

あることをきっかけに

崩れていきました

 

 

 

お父ちゃんが別の女性と

逢引きしている所を

見てしまったんです

 

 

 

荒れ腐った弟は高校退学

そしてお母ちゃんも

なんでか家出してしまい

 

 

 

残された私と弟は2人で

生活する時期がありました

 

 

数週間たってお母ちゃんが

戻ってきたと思ったら今度はお父ちゃんが

女と一緒に出て行っちゃった

 

 

 

もう何じゃこの親!

 

 

 

田舎じゃけ~

こんなことしている家庭は

近所にはすぐバレルでしょ

 

 

 

うわさ話のえ~ネタですよ

大人たちはあわれむような顔で

私と弟を見るんです

 

 

 

助けてくれるんじゃなくて見て

自分たちは幸せじゃ~って

人の不幸で安心しよるんです

 

 

 

こんなくそ田舎

ぜったいに出てやるって

高校卒業した次の日に

 

 

バイトしたお金で準備した場所へ

実家から出たのは19歳になる春でした

 

 

 

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は~しわい💦💦

 

 

 

6歳から19歳まで

13年間しか生活していない実家です

思い出も本当に少なくて

 

 

 

近所の目を気にしながら

お母ちゃんにも気を使いながら

すごした学生時代でした

 

 

 

 

昨年、一人で生活している

認知が進みまくってるお父ちゃんと

生活するために実家に戻ることを決めました

 

 

 

そりゃ~

帰りとう無かったです

田舎じゃし近所がめんどくさい

 

 

 

どんどんボケていく

認知のお父ちゃんを見るのも

メンタルが落ちること間違いない

 

 

 

 

帰りたくない理由は

こんな幼少期にあったんだなと

根が深いですね・・・・

 

 

 

そして私はどんどん女子の

コミュニティが苦手になっていく

 

 

 

罵声を投げられたのも同級生の女子

 

 

 

憐れんでいるようでうわさにしてた

近所のおばちゃんたち

 

 

最大の苦手意識は母親です

 

 

 

人生はちょっとの言葉と気持ちで

変わるんじゃろうね