「城」から「要塞」へ 2 | midnightmoonのブログ

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ヒーローズインザスカイプレイ日記・・・?

 前回は「城」から「要塞」への進化について書きましたが、今回はその第2回目。火砲に対抗できる防御力と死角を無くす構造をもった星型要塞ですが、これはあくまでも従来の城から防御力の向上した「戦術上」の進化にすぎませんでした。つまり、外見上の構造は変わっても兵站機能と部隊の駐留機能を持つ軍事拠点という戦略上の意味においては中世の城や砦となんら変わるものではありませんでした。この状況が変化するのは「ナポレオン戦争(1803年~1815年)」の時代になります。

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(星型要塞の防御補助として開発された角堡の構造例)

 1800年代初頭まで、軍事行動における兵站作業(食料・武器弾薬の補充等を行う作業)や軍組織自体の維持にかかる費用は莫大なものであり、また身分制度等の制約から各国が動員できる兵力は大きなものとはいえませんでした。
 しかし、19世紀初頭から軍が「国民軍」として大規模化すると供に兵站や通信の機能も進歩すると「戦略拠点」としての要塞の重要性は大きく低下します。
 長期間の行動が可能となった軍は犠牲も大きい要塞攻略に手を付けず、駐留兵力が突出しないように予備兵力を持って包囲するだけに留め、本隊は重要拠点を目指すようになります。つまり、「あんな面倒なものは放置して迂回してしまえ」ということです。実際、ナポレオン戦争においては軍は常に移動し、野戦によって勝敗が決せられることが殆どでした。
 これにより、旧来の城の延長線上にある要塞は徐々に姿を消しますが、新たな防御思想として防御対象の拠点そのものの周囲を稜堡式の城郭で覆うのではなく、防御対象拠点から一定距離を置いた地点に小型のヴォーバン式要塞ともいえる堡塁を複数築き、そのネットワークをもって迂回困難な防衛ラインを形成するという考え方が生まれます。所謂「要塞線」の誕生です。19世紀末から20世紀初頭まで、以前よりも重要度は低下したと言えど、一定の条件化においては要塞はその価値を維持し続けることとなりました。(続く)

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(フランス ヴェルダン市街地に残る要塞跡)