良書の紹介 vol.02

「図解 錬金術」

✳️著者 草野 巧
✳️出版社 新紀元社
✴️価格 1300円+税
✴️発行 2006年3月3日初版
2017年7月6日6刷発行

錬金術とは人間を神のような存在に変える神聖な術であり、その内容を部外者に漏らしてはいけない秘教として扱われていたようです。


特に、音楽と錬金術との関係は密接で、宇宙の創生は音階に基づいて行われたと考えられ、その信仰はヨーロッパでは中世以降にまで生き続けてたようです。


また、宇宙の調和は音程の調和であり、小宇宙である人間の心身や物資の元素にまで影響を及ぼすと信じられていたとのこと。


音楽には宇宙の調和をもたらす魔術的力があり、人間の病気を治すばかりか、魂を浄化する作用もあると信じられていたとのことで、錬金術を学び、この信仰を引き継ぐことで、現代の音楽の様相を輝かせていけたら良いなと思えました。


興味のある方は、ぜひ、一読を!

良書の紹介 vol.01


「グローバル・バリューチェーン」


✳️著者 猪俣哲史
✳️出版社 日本経済新聞社
✴️価格 2500円+税
✴️発行 2019年6月28日


本書を読んで考察したことを述べます。
参考にして頂ければ幸いです。


これまで安価な労働力を求めて途上国に工場を移転するという流れが一般的であったが、途上国が高度経済成長を果たし、安価な労働力を途上国に求めることが難しくなりつつある。



そこで今後の流れとして考えられることは、自国に工場を建て国内で労働力を確保する必要が出てくる。



その場合、企業運営上、賃金を高くすることは難しいだろうから、賃金は高くは出来ない。それでも人手が欲しいとなれば、今度は働く側の変革が求められることになる。



つまり、働き手が何かしら文化的活動において収入を得ていれば、それほど高くない賃金でも良しと出来て、また、文化的活動に支障のない単純労働であれば雇用は促進されるはずだ。



働く側の文化的活動とは、文筆や音楽活動、芸能活動や社会活動など、自分のやりたいことにおいて多少の収入が得られていれば、それらの活動を妨げないような単純労働が好都合となってくる。



もちろん生産的な仕事に従事したい人はそれで良いが、小説を書いたり音楽制作をしたり、ダンスやショーなどのパフォーマンスや町おこしなどの社会活動で収入を得たい人にとっては、それをしたいがそれだけの収入では生活出来ないことも多く、そうなれば工場などの単純労働がそれなりの収入を確保出来て、おまけに身体も使えば体力増強に持ってこいでもある。



このように働き手の働き方が、文化的活動に重点を置く働き方となれば、自国に工場を建てそのような人達を雇い入れる体制を整えれば良いだろう。そうすれば、従業員間の横の繋がりを求めてそこで働きたいという人も増えてくる。



今後、途上国の経済が高度化していく以上、途上国で安価な労働力を確保することはより厳しくなる。



働き方改革が今なされているが、それはグローバルな労働環境でも避けられない問題となる。



今一度、自身の働き方を見直せるよう、企業の体制維持の仕方にも変化がいると感じる。

筆跡🖌水口昌人

人に対して優しくすることは大切なことだと思います。

人の顔色を伺い気を遣うこともマナーとして大切なことだと思います。

そして、それが自分を疲れさせてしまうことも確かです。

では、どうすれば良いのでしょうか。

人に優しくしなければ良いのでしょうか?

人の顔色を伺い、気を遣うのを止めれば良いのでしょうか?

 

 

そうかもしれません。でも、そうやって優しくしたり、気を遣うのは、その人のことを考えてであれば、それはその人に伝わります。であれば、その人はとてもすがすがしい思いになっているのではないでしょうか?

 

そのすがすがしくなった相手をあなたはどう感じますか?

 

やはり、優しくしてよかった。気を遣って良かった。と思うのではないでしょうか?

 

また反対に、もし、優しくすることを相手が嫌がったり、気を遣うのを相手が嫌がるのであれば、あなたはその相手に合わせて優しくしないようにし、また、気を遣うのを止めるかもしれません。

 

それはある意味で相手に優しく、気を遣っていることになることになると思ってほしいのです。相手が優しくするのを嫌がるから厳しくするとすれば、それは、相手に優しくしているのと同じことだと捉えて欲しいのです。何故か、それは相手に合わせているからです。

 

このように相手を思い、優しくすることは、恐らく人間に備わっている本能であると思います。しかし、優しくすること、気を遣うことは自分を疲れさすのも確かです。

 

ではそれを止めればいいかと言えばそうではなく、このように相手のことを考えることは、自然と人間が行うものだと理解すると良いと思います。

 

そして、それが自分を疲れさすことも理解しておくことです。それだけ大変なことを行っているのです。それを、当たり前の如く行うことが、自分に厳しくあるということなのだと思います。

 

相手に対して優しくすることに対して、自分に厳しくするのです。

それは、とても大変なことであり、辛いことですが、それを行える人は聖人君子と呼ばれるようになります。それは求めて得られるものではありませんが、そうし続けていると結果、人からそのように思って貰えるようになるのだと思います。

 

そのような存在は社会にとって必要な存在です。それが出来る人はだからです。それだけ大変なことなのです。

 

そのように考え、少し自分に優しくもありながら、また、人からも優しく接して貰えるよう心掛ければ、自分に対して厳しくあれるはずです。もちろん、それは人に対して優しくあろうと自分に厳しくするという厳しさのことです。。。