豊田市民芸館開館40周年記念・河井寛次郎記念館開館50周年記念「河井寛次郎展ー河井寛次郎の魅力は何ですかー」豊田市民芸館へ。(会期終了 2023年12月16日~2024年3月10日)

 

遠かった、豊田市民芸館への旅路は。

名古屋駅から名鉄三河線に乗り換える時も、これで間違いないかハラハラしながら。本当に向かっているんだ、豊田市民芸館へ、と浮足だって。

 

平戸橋に着くと小さな駅舎の前は菜の花が満開。こんなに寒いのに、もう春が来ているのだ。

 

淀んだ曇り空に鮮やかな黄色が目に飛び込んできて、一瞬寒さを忘れさせた。

 

速足で、豊田市民芸館への道を急ぐ。

 

 

 

 

豊田市民芸館第一会場

 

辿り着いた!看板が見えてくると、もうそれだけで感無量に。まさか自分がこんな遠いところまで旅に出られるとは・・。思わず寛次郎展のポスターを拝んでしまう。

 

 

 

第二会場

 

 

 

 

 

河井寛次郎の陶芸、戦後期の木彫、そして寛次郎の書など、200点あまりの展示。第一会場の若い時代の寛次郎のノートは初めてみた!

 

なんて美しい文字!丁寧な図・・・。寛次郎の性格が滲み出ているようで、胸が一杯になる。こういう、生きていた彼の欠片が見られるのは嬉しい。

京都市陶磁器試験場での仲間たちと。

中央右側が寛次郎。まだ眼鏡をかけていない。(たまたまかけてなかったのだろうか?)20代の寛次郎は少しふっくらとして、白衣の下はワイシャツに蝶ネクタイ、そしてベスト!お洒落だなぁ~。いい笑顔。仲が良かったのだろうなぁ。左上の英語の綴り字のメモが洒落ている。こういった写真の資料も嬉しい。

 

しみじみ思ったのだが、私は寛次郎の作品、というよりも、寛次郎の人間性や思想、寛次郎そのものが好きなのだ。だから、こういった彼が遺した生きていた証にグッときてしまう。

 

彼の代表作も次々と。

 

青瓷ぜん血文桃注 1922(大正11)年頃 寛次郎32歳頃

天界の神桃はこんな桃だったのではないだろうか。それを食べたものは決して老いることがない神さまのたべもの。

 

 

三彩鳥天使水注 1923(大正12)年頃 寛次郎33歳頃

この茶色と緑の混ざり合う釉薬の美しさ!造形も見事・・!

 

青瓷ぜん血葉文花瓶  1923(大正12)年頃 寛次郎33歳頃。

 

中国の陶磁器に倣った30代の作品は繊細で鮮やか。

 

そして1924(大正13)年、いよいよ寛次郎と柳宗悦が運命的な出会いを遂げ、柳の説く「民藝」や「用の美」に心動かされていくにつれ、作品もおおらかに、野太く力強い「用いる為の物」へと変化していく。

 

間近で、様々な角度からじっくり見られるのもいい!


 

白釉薬草花文面取壺 1942年(昭和17)年頃 52歳頃

 

呉洲三色打薬双頭扁壷 1963(昭和38年)頃 寛次郎73歳頃

碧釉扁壷 1966(昭和41)年頃 寛次郎76歳頃

碧釉扁壷(ヘキユウヘンコ)1966(昭和41)年頃 寛次郎76歳頃

 

 

寛次郎の書や木彫も。

 

 

 

河井寛次郎記念館の畳の上にちょこんといた狛犬も飾られていた。

 

 

 

 

 

初めて河井寛次郎記念館でこれを見て、が~ん!となって動けなくなった。そうだなぁ、まさにその通りだ。物を買ってくるとは、自分を買って来ることなのだ・・。

今回はこの言葉も沁みた。

 

 

 

 

木彫 1954(昭和29)年頃 寛次郎64歳頃

昨年の春、記念館に飾られていたこの手を間近で観た衝撃といったら。しばしその場で動けなかった。

日曜美術館の寛次郎特集で、この掌にある球が置いてあるだけだと知り、驚愕!え~~~!あれ、てっきりそのまま彫ってあるのかと!!!寛次郎はそうやって人を驚かすのが好きだった、とも。

 

記念館では裏側は見られない場所に飾られていたので全く気付かなかったのだが、なんと裏側には顔がある。これも日曜美術館の特集で観てまたもや驚愕!やっとこの展示で裏側が見れた!!(ガラスに反射してしまい上手く撮れなくて残念・・)

 

ぷっくりとした可愛らしいフォルムの金のキセル達。寛次郎のデザイン、かわいい・・・!

 

 

 

日本民藝館から移築された旧館長室、今回は美術家・中村裕太が2022年に京都国立近代美術館で展示した「目で聴き、耳で視る 中村裕太が手探る河井寛次郎」を展示。いちいち嬉しい知らないエピソードが・・!たまらない小部屋だった。

 

「目で聴き、耳で視る」ってどういうことなんだろうなぁ・・。眼で視たものに惑わされない、全身で自分の五感すべてで味わうということなんだろうか。

 

若き柳宗悦先生がこのスピニングチェアーに座っておられる~~~~~~悶絶・・・。お二人とも楽しそうでほっこりする。

 

寛次郎の柳先生評、「東京民藝館に集まったもんてのは、みんな数珠玉みたいにひとつひとつに柳宗悦という穴開けて、それが繋がってんなって。」これそのまんま寛次郎さん、貴方ですよ?と思ったら、聴き手の梅棹忠夫さんがまさにそれを言ってくださってて思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

こうして一堂に寛次郎の作品を眺められる機会はとても貴重だけれど、作品が素晴らしければ素晴らしいほど、ここが河井寛次郎記念館だったらなぁ~~~~~と思ってしまう。あの空間で寛次郎の作品が無造作に置かれ、季節の花が生けられ、生きている場所。展示場のガラスケースとは違って、どうしても木彫の裏までじっくり見る、というわけにはいかないけれども。今すぐに寛次郎記念館へ飛んでいきたい!あの中にただ存在してたゆたっていたい・・・!!寛次郎記念館が無性に恋しくなる、そんな展示だった。
 

 

こんな貴重な動画を発見↓

 

河井寛次郎没後50年の展示の動画↓

 

第二民芸館の展示を見終えると、河井寛次郎の紹介DVDが流されていた。

 

「人間はどうしたらすばらしい人生を送れるの?」と問う娘のすや子さんに寛次郎はこう答えたという。

「何でもいい、足元や身近にあるものから、ひとつでも喜びを発見する人になることだよ。」

 

喜び。生きる喜び。寛次郎の根幹にはそれが常に流れていて、いつも変わらない。

 

 

(昨年の春、訪れた河井寛次郎記念館についての感想はこちら↑)