「忘れられた女」マリーは、戦争が終わると1921年に帰国。夫とは離婚し、華々しい活躍の時代が始まる。

 


マリーを愛する詩人達は彼女にオマージュをささげる詩集「マリー・ローランサンの扇」を刊行。

 

マリー・ローランサンの扇 1922年

 

 

 

マリー・ローランサン詩画集 マリー・ローランサン詩・画 堀口大學訳、ジャン・モレアス、ギョーム・アポリネール序詞

1936年

 

フランス文学者・堀口大學がマリーの詩と画を収めた本を700部限定で出版。表紙は「マリー・ローランサンの扇」から。すごく貴重な・・!!

 

 

上流階級の夫人たちが自身の肖像画をマリー・ローランサンに描かせることが流行になっていく時代。

本の挿絵、バレエ・リュスの衣装や背景の仕事、更に家具の絵付けなども。見応えがあった。

 

 

マリー・ローランサン マルセル・ジュアンドー短編集「小動物物語集」挿絵エッチング 1944年

 

 

水彩画が素晴らしく好み!!!ドレスの少女たちが可愛らしくて見惚れる!!

 

マリー・ローランサン 椿姫 1936年 マリー・ローランサン美術館

 

マリー・ローランサン 椿姫 1936年 マリー・ローランサン美術館


 

 

 

背面の花束がマリーの絵。

 

 

 

美しすぎて、座れない椅子!お茶やミルクをこぼしたら大変!!

 

バレエ・リュスの衣装、かわいい!かわいいけれど、このイメージだけで衣装をつくるのはさぞや大変だったことだろう・・。

 

 

 

芸術家達の集う中心は、モンマルトルからモンパルナスへ。

その頃モンパルナスに集うアーティスト達の作品が次々に展示場に現れ、二つの戦争の合間のデカダンな時代の香りが漂う。

 

ラウル・デュフィ ポワレの服を着たモデルたち、1923年の競馬場 1943年 アーティゾン美術館

ポーラ美術館で大作を見たばかり。デュフィの絵は艶やかできらびやかでよい香りまで漂ってくるよう。

 

ケース・ヴァン・ドンゲン シャンゼリゼ大通り 1922-1923年

 

(キースとも表記されるけど今回ケースだった。)彼の「黒猫を抱く女」は夢二の黒船屋の元絵になっている。柔らかいタッチの絵、いいなぁ。ローウェストの20年代ファッションがいい!

 

東郷青児 パリの女 1921年 鹿児島市立美術館

 

東郷青児もこの頃パリに。

 

藤田嗣治 少女像 1927年 アーティゾン美術館

 

第一次世界大戦中もヨーロッパにとどまっていた藤田は赤十字に参加した際、スペインのマドリードで亡命中のマリーと再会。その後も二人の友情は続き、1956年のマリーの葬儀にも立ち会ったそう。

少し不安そうなうつろいやすい時代の少女姿が印象的。すごく好き。

 

アメデオ・モディリアーニ 若い農夫 1918年頃 アーティゾン美術館

なんと!ブランクーシの影響下で彫刻制作をしていたけれど、次第に絵画に専念するようになったとのこと。ブランクーシの頭部の彫像とモディリアーニの描く人物の細長い頭部、似てる気がする。

 

 

 

マリー・ローランサンもピカソもブラックも東郷青児も藤田嗣治もモディリアーニもケース・ヴァン・ドンゲンもみんなみんな、同じ時代に、懸命に生きて、絵を描いていた。

 

藤田嗣治とマリーの交流。キュビスムから古典主義に移ったピカソと出逢った東郷青児。どのエピソードも胸を打つ。

 

「私はローランサンの絵に傾倒したことはないが、めっぽう明るいようで、案外うっとうしく、なんとなくノンシャランなけだるさが好きで、彼女の絵を今でも愛蔵している。ローランサンのような特異体質の絵かきはもう現れないだろう。」東郷青児

 

まさにローランサンの絵そのもの。そう、よく見ているとアーモンド型の黒目が虚無や孤独の闇をうつしているようで、少々重くけだるく投げやり。

 

(ノンシャランって???思わず調べてみた!(nonchalant)無頓着でのんきなさま。なげやりなさま。「 ノンシャラン な性格」)

 

マリー・ローランサン 二人の少女 1923年 アーティゾン美術館

 

 

 

1930年代になると、ピンクと灰色と青の世界から、一転鮮やかな黄色や赤が躍るようになっていく。けだるさは影を潜め、弾むような動き、屈託ないお喋りとくすくす笑いが漏れ聞こえてくるよう。艶やかで華やか。

 

 

 

マリー・ローランサン 五人の奏者 1935年 吉野石膏コレクション(山梨県美術館寄託)

 

 

 

 

 

絵の中の少女たちは、桃色の頬につぶらな瞳とはにかむような笑顔。

マリー・ローランサン 三人の若い女(部分)1953年頃。

10年かけて完成させた晩年の大作。

 

 

 

 

晩年のマリーは、養女と二人家にこもり、絵を描く日々だったそうだが、それが彼女のたとえようのない幸福だったのではないだろうか。たとえ養女シュザンヌが彼女を不当に友から遠ざけ独占し続けたのだとしても。

 

憂いを含み影のある瞳は、もうそこにはない。生きる喜びに輝き、幸福感に満ちているのだから。

 

彼女の描いた美しい女性像と共にマリー・ローランサンという女流画家は、私たちの心に刻まれて生き続けるのだろう。忘れられることなく、永遠に。