宮崎駿監督の新作映画「君たちはどう生きるか」の原作でもあるという一冊。

難解なあの映画を理解するために、夥しい感想や解説ではなく、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」と共にこの「失われたものたちの本」を読むべきだろう。そう考えて手に入れ、しばらく飾っておいたもの。

 

ようやくこの物語の扉を開く時がきた。

 

 

 

2015年東京創元社刊『失われたものたちの本』に「シンデレラ(Aバージョン)」を加え、2021年に文庫として発売された。

 

映画の様々な場面が浮かび、ああ、これはこういうことでもあったのか、この話をこう変えていったのだな、と映画の理解に役立ちもした。

 

映画がグロテスクだという感想も読んだけれど、こちらは更に数倍グロテスクで、物語の殆どが禍々しく穢いものに満ちている。映画は美しく綺麗で優しい、とすら思えてくる。

 

生々しい。

闇、土中に蠢く虫達、錆びた鉄のような夥しい血の匂い、異臭、目を覆いたくなるような光景。人間の、人々の心の中の浅はかさ、弱さからくる諍い、自分勝手な思い込みと憎しみ。強大な化け物に目をつけられ追われる恐怖。

 

本書の紹介の文章はこうだ。

 

「第二次世界大戦下のイギリス。本を愛する12歳のデイヴィッドは、母親を病気で亡くしてしまう。孤独に苛まれた彼はいつしか本の囁きを聞くようになったり、不思議な王国の幻を見たりしはじめる。ある日、死んだはずの母の声に導かれて、その王国に迷い込んでしまう。狼に恋した赤ずきんが産んだ人狼、醜い白雪姫、子どもをさらうねじくれ男……。そこはおとぎ話の登場人物や神話の怪物たちが蠢く、美しくも残酷な物語の世界だった。デイヴィッドは元の世界に戻るため、『失われたものたちの本』を探す旅に出るが……。本にまつわる異世界冒険譚!」

 

 

赤ずきん、白雪姫、ヘンゼルとグレーテル、がちょう番の娘、眠れる森の美女等・・様々な昔話が登場するけれど、それはよく知られているようには進まない。男女逆転していたり、ほぼバッドエンド。昔話の残虐性が更に増加し、性愛を暗喩する薄暗さに満ち、立て続けに繰り広げられていく歪みの濁流へと主人公ディヴィッドと共に読み手も呑み込まれていく。

 

一つの世界の崩壊までを私たちは凄まじいスピードで駆け抜けていく。この疾走感、宮崎駿監督の映画の在り様ととても似ていて驚く。終わりまで休むことなく、一気に駆けて駆けて駆け抜けるのだ。

 

残酷な物語の世界を生き延びたデイヴィッドが戻ってきた現実の世界でのエピローグは10頁に満たない。

 

それは、想像していたものを遥かに超えた物語の終わり。

 

静かな光に包まれ、痛ましさと切なさと愛しさ、儚さに満ちてほとほとと涙が伝わって落ちた。

 

ここに至る為にすべてがあったのか、と呆然とする。

 

あの残酷さも穢さも何もかもが押し流されてしまう。すべての謎が解き明かされた時も、それまで積み重ねた物語を何も損ねることがない。思わず唸るほどだ。

 

己の人生に重ね合わせ、自分の物語を閉じる日に思い馳せながら、本を閉じる。

 

私も行って帰ってきた。あの冒険の日々を生き抜いて、今ここを生きている。

 

宮崎駿監督がこの本の帯にこんな言葉を寄せている。

 

「ぼくを幸せにしてくれた本です。出会えてほんとうに良かったと思っています。」

 

 

 

とてつもなく厳しい冒険の旅だった。自分にとっても忘れられない「行きて帰りし物語」の一つ。

 

 

昔話が大好きだったディヴィッドの母が語った昔話についての言葉は、そのまま私自身が昔話について感じてきたこと。5年程昔話を語る語り手として全精力を傾けていた時代に、いつも思っていたことがそっくりそのまま出てきて当時の思い出が次々に蘇って甘酸っぱい気持ちになった。

 

「物語は、伝わることで命を持つことができるのです。誰かが声に出して読んだり、灯りに浮かび上がった文字を毛布にくるまりながら目で追ったりしない限り、本当の意味でこの世界に生きることができないのです。(中略)

誰かが読みだすと、物語は変わり始めます。人の想像力に根を下ろし、その人を変えてゆくのです。物語は読んでほしがっているのよ、と母親は囁きました。読んでもらわなくちゃいけないの。だから物語は、自分たちの世界から人の世界へとやってくるのよ。私達に、命を与えてもらいにやってくるの。」

 

 

 

 

私は、物語を「ほんとうのこと」として語りたいと心掛けていて、それを作りこむのに時間をかけていたけれど、まさにその通りで、聴き手がいるからこそ、物語は生きる。(これはきっと読み手として在る人達全てが感じている思いだろうけれど。)

 

 

この本は少し遠出をした際のお伴に連れて行った。

 

秋へと駆け抜けていく列車の車窓を眺めながら、遠い山と紅葉の映える池の前のベンチで。物語の世界と現実とを行きつ戻りつ。

 

 

訳者の田中志文さんもあとがきで書いていらしたが、登場する昔話を知っていた方がより楽しめる。(えっ?こんな終わり?と衝撃がある。)

 

ルンペルシュティルツヘン、赤ずきん、ヘンゼルとグレーテル、白雪姫、がちょう番の娘(女)、眠れる森の美女、三匹のやぎのがらがらどん、3匹のくま、美女と野獣。

赤ずきんと眠れる森の美女はシャルル・ペロー版を田中さんは勧めてらっしゃる。読んでみようかな。

 

あまり有名でない「三人の軍医さん」(グリム童話)「チャイルド・ローランド暗黒の塔にきた」(ロバート・ブラウニングの詩で「男と女」に収録されているそうだ。)

 

 

元の話も相当怖い・・。こういう物語が人々の中から生まれてくるってどんな世の中だったのか。

 

 

 

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吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の感想はこちら↓

 

 

 

宮崎駿の映画「君たちはどう生きるか」初見時の感想はこちら↓