小さな郷土博物館だけれども、この地は棟方志功のアトリエ兼住居のあった場所。
 

 

四の五七という末広がりの住所が気に入り、画家が久我山に引っ越す際、家を譲って欲しいともちかけたという。一度も見ずに。
お孫さんが覚えている限り書きおこした家の見取り図から建築家を交えて作り上げた大きな図面はあたたかく、彼らが生きていた昭和の時代の暮らしを想像する楽しさがあった。来客が多く子どもたちもいて、さぞや賑やかな家だっただろう。

この地に根づいた棟方志功は、様々な店の包装紙や商品のラベルなどの仕事を手がける。



(当時荻窪にあった和菓子屋金太郎の包装紙)

 



河合寛次郎の本。棟方志功の装丁と挿絵に飾られた河合寛次郎の言葉たちはきらきら輝くようだったに違いない。


谷崎潤一郎の作品の装丁。
ケースはふくよかな女神や黒いシルエットの女体の版画。本を取り出すと、そこには艶やかな色が現れる。版画の色使いが艶めかしい。頁を括り、読み進めるのは、後ろ暗い悦びをもたらしたろう。

 

光明妃の柵(昭和40~43年頃)小さな作品なのだが、柔らかな色合いがはんなりと優しくあたたかい。見飽きない。

角川書店創業者・角川源善の依頼で記念陶板の原画として依頼されたもの。陶板も飾られていた。

 

 

 


1階に突然和式トイレが出現!

棟方志功が自宅の便所の壁に描いた「雪隠観音」を原寸大でデジタル復元したのだそうだ。一見の価値あり!

思わず座り込んで下からしばし観音像を見上げる。

 

 

「私にはね、便所は大安心所なんですよ。いいですよ、便所は。大安心所なるが故に大日如来が・・観音様がおいで遊ばされる・・。」棟方志功

 

観音様に見守られて毎日毎日、用を足す。

これはなんという贅沢。



棟方志功ファンがわざわざこんな小さな郷土博物館まで足を運び、パラパラ人が来ているのが印象的。


当時あった店の多くが閉店しているが、いづみ工芸店は今も尚、荻窪の地に。ぜひ共に訪れたし。

 

 


10月1日まで。
杉並郷土博物館は荻窪駅から徒歩8分。

 

以前の展覧会の図録。今回の展示の殆どが網羅されていたのでお土産に。かなり読み応えがあった。

 

 

 

 

青森の棟方志功記念館は2024年で閉館だという。そうか、棟方志功の生きていた時代はどんどん遠くなっていってしまったのか、と残念でならない。この小さな郷土博物館が、棟方志功の足跡を残していってくれることがありがたい限り。






さて、ここからは蛇足。

私は柳宗悦先生の強火のファンである。素直に美を受け止める心やその純烈さ。日本民藝館でその思想に触れ、著作でノックアウトされた。

2階入口入ってすぐ、棟方志功略歴の隣は、柳宗悦先生と棟方志功ツーショット!



見たことない写真に心鷲掴み。
先生、なんて優しい慈愛溢れるお顔なのか。私は先生の穏やかな優しい笑顔がたまらなく好きで、しばし言葉を失う。

昭和11年、棟方志功33歳。大和し麗し版画巻が柳宗悦と濱田庄司の目に留まり、日本民藝館に買い上げられることになる。

棟方志功は自著にこう書いていたそうだ。
「柳先生からこの話を聞かされた時には、飛び上がる思いで、わたくしは柳先生に抱きついて離れませんでした。後で聞いたことでしたが、『あの時はムナカタに抱きつかれて困ったよ。犬のような匂いが、可愛い匂いだったよ。マアいいよ、いいよといいながら、僕も棟方を抱いていたよ。』という話でした。」


‥推しが‥推しが尊すぎる‥🙏
棟方志功羨ましい。ずるい。柳先生にこともあろうか抱きついて、匂いが犬みたいで可愛いとか!先生、どんだけ器が広いのか!私もムナカタになりたい。こんなに柳先生に愛されるとか胸が焼けつくように羨ましい。

しかしながら棟方志功の作品がすばらしいので、あ、コリャ仕方ないなー、と早々に白旗🏳️

しかしせめて柳先生の生きていた時代に生まれたかった。先生の写真を眺めつつ、当時に思い馳せるのみである。

 

推しの写真が尊過ぎて号泣&心は五体投地。また柳先生のあたたかな眼差しに包まれにいきたいものだ。