11月から副業を始めました | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

来年の3月2日(土)水戸市民会館、9月22日(日)サントリーホールと、大きなホール公演が決まっておりますが、費用もかかります。そして、ライフワークの一つでもあるJAZZの英語歌詞の日本語歌詞でのアルバム発売も継続していくつもりです。10曲を目安にしていますが、今のところ初めて日本語歌詞が認められたFly Me To The Moonや On The Sunny Side Of The Streetはじめ八曲の公認を頂いており、あと少しです。

今迄、数々の作詞家が挑んでは公認されなかった有名曲の数々。

フランス語のシャンソンは沢山の日本語歌詞が存在していますが、厳格に著作権管理をする事から直訳に訳し直したり実際の音源が曲の世界を再現しているかどうか審査されるジャズの英語歌詞の訳詞は至難の業でした。

私が俳句や短歌の様に要点を絞って別の言い回しに変えて同じ意味の日本語歌詞に置き換えて、英語歌詞で歌われていた心模様や風景をそのまま伝える取組。

ありそうでなかった新たな文化の創出。より多くの日本人が日本語でジャズを歌い、逆に日本語のジャズを世界に向けて発信する未来も見据えて訳し続けて来ました。

それをアルバムや本として残していく事で、私の生前に認められなくても、ゴッホの絵の様に死後評価されて日本語歌詞のジャズが広がって行けばいいと長い目で考えています。

その為には、アルバムとある程度まとまったら、本にして、しっかりと世の中に残していかなければなりません。


そこらへんの資金をなんとしてでも貯めなくてはなりません。ただ、生業の歌だけでは資金を貯めるのは難しい状況でもあります。


この為、11月から副業を始めました。

歌手活動を生業として、その活動日以外で副業をする事にしました。

60歳で始められるのは警備員か介護、タクシー運転手、配達業あたり。

このうち、介護は金額的な面とシフトの自由度、警備員はシフトの自由度について不安がありました。

タクシーは免許が必要な事と長時間の運転は頚椎ヘルニアの関係で腕の痺れの悪化の原因になるので、配達の度に降りる配達の仕事が良いのかなと思っていました。

そう思いながら、長距離トラックも免許の問題と30分以上腕を上げて運転していると痺れてくる現状から無理。

そんな中で、今出来るのは、軽トラックでの宅配かなとも思いました。

そんな事もあり、生業の歌手活動を優先してシフトを組んでもらう条件で御願いしました結果、郵便局ゆうパック配達員の下請けを個人事業主として行う事で契約して11月第二週から始めました。


実際に始めてみると、色々と覚えなければいけない事だらけで、経験の積み重ねも大事。

ルートを組んでもベテランの方々は、地図をほぼ見なくてもどんどん回ることが出来て、凄いスピード感。配達希望時間変更などでルートに変更があっても、直ぐに対応していく迅速さ。

ジャズの演奏家が楽譜を見なくても有名曲は大概弾けて、尚且つコードを変える場合、それに合わせて変幻自在に対応されるのと同じ様に思いました。

どこの世界でもプロは違うなあ!と、感心しきりな中、

少しずつ人並みになりつつあります。

それでも、職場の皆さんが、色々と丁寧に教えてくださり、職場の仲間の方々が助け合う姿勢、有り難い事です。

ただ、身体の方は初日が終わり、12時くらいに就寝した後、3時半ごろに腕の痺れで目が覚めました。

通常は、目覚めの時は頚椎ヘルニアによって骨が神経を圧迫する為に腕が正座の後に足を崩した時の様な痺れが出ます。

それが、指が膨らむ感じで手のひらは熱を持った様に感じて、パチパチと線香花火の様になってしまいました。

痺れが強い間は、指が曲がらず、焦りました。

それで、2020年9月に交通事故に遭ってから購入していた家庭用電気治療器で痺れが治るまで、マッサージをしたのですが、痺れが治るまで、15分のマッサージセットを3回。合計45分となりました。



今も、痺れで目が覚めてから治るまで電気治療をしていますが、15分で大体楽になる様になりました。


それと、枕をするのをやめました。

以前、東京でホテルに宿泊した時に物凄い痺れが出た時がありました。

通常の低反発や高反発の枕ですと、硬い場合でも柔らかな場合でも、どうしても首の骨が神経を圧迫してしまう為、リハビリクリニックの先生のアドバイスも頂き、家では首のところを窪みを作れる蕎麦枕にしてホテルでは枕をするのはやめました。

それを思い出して、蕎麦枕もやめる事にしました。

ユニフォームも支給されたり、仕事を覚えたてですので、今更辞めるわけにもいきません。

そして、時給千円くらいのアルバイトやシルバー人材や再雇用的な業種よりは今の仕事がベストと思っています。なんとか、続けられる様に手を尽くしていきたいと思います。


毎朝早く、帰りも遅いのと、配送する為の準備(仕分け、配達ルート作り)と配達している時間も含めて、ネットを閲覧したり、とても出来る状況ではありませんでした。一ヶ月間は私にとって激動の期間となりました。そして、あっという間に一ヶ月経っていました。


その為に、安否確認のメッセージや電話を頂いたりもしました。


至って元気です。


兎に角、自分の夢や目標に向けて頑張ってなんとしてでも成し遂げていく。この事だけに集中して頑張り続けて参ります。