「Yashitaki Mikimoto」日本人の名前が曲名のチャーリー・パーカーの遺作の異色作 | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

7月7日発売予定のアルバム「それでも朝は来る」ですが、チャーリー・パーカーの未発表曲を二曲レコーディングしています。チャーリー・パーカーは1955年3月に亡くなるまで、85曲楽譜を残しており、それはOxford社の研究書に作成年も含めて収録されています。

 

 

そして、1953年が最後のレコーディングの為、レコーディングしていない未発表曲があります。
その中で、1954年に書かれたYashitaki Mikimotoという日本人の名前を冠した題名の曲があります。

NY在住の音楽家山口雅也さんが、Yoshitaka Mikimotoということをいち早く特定しています

こちらが出展元となります。

http://www.masayayamaguchi.com/yardbird_masaya.html

Yashitaki MikimotoのMikimotoは、ミキモトパールの御木本。その年代、真珠は日本だけが養殖に成功しており、世界の宝石界を席巻していて、御木本家の当時の当主の御名前が御木本義隆(Yoshitakaヨシタカ)でした。
ヨシタカの誤植でヤシタキになったのでは無いかとの推論をされていました。
これは米国人の発音にありがちな事なのですね。
昔、ストロング小林というプロレスラーがいました。アントニオ猪木と昭和の巌流島とも呼ばれた日本人対決に敗れたストロング小林は、アメリカのニューヨークに渡り、当時のNYの帝王ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界王座に挑戦するなど箔をつけて、再度猪木と対戦することになるのですが、そのサンマルチノとの一戦で、リングアナウンサーは「ストロング・コビヤーシー!」とコールしていました。KobayashiがKobiyashiになっていたのですね。当時のプロレス放送のアナウンサーが、アメリカではアイウエオのアが近くにあると発音できないので、別の言い方に変わるので、コバヤシとは言えずにコビヤシになるんです。と、説明していました。
それと同じ口語表現なのですね。
最近では、WBCで活躍したレッドソックスの吉田正尚選手のMasatakaマサタカが言えずに、Masaと紹介されていました。
普段の話し言葉、口語表現で呼ばれている名前をそのまま耳コピで曲名にしてしまったのですね。
これは、言語学的にも歴史に残る発掘にもなる様な気がします。
そして、このYashitaki Mikimoto、チャーリー・パーカーの他の曲と比べても東洋的な摩訶不思議な旋律です。何処かしら、終戦直後の日本の抒情歌の様です。チャーリー・パーカーの日本の音楽に対する思いも垣間見ることが出来ます。更に、この楽譜に休符は、8分休符一つだけ。音符が所狭しと上がり下がりしています。
オリエンタルで難曲。

 

 

存在は密かに知る人ぞ知る的な曲でしたが、誰もこの世に出せなかった曲。
英語の単語は一つ一つ発音のアクセントがあるので、沢山詰まった音符で上がり下がり激しいと、メロディーに合う歌詞が成立できません。
これを可能に出来るのは、母音が一つ一つの音に付随していて、音符に一音しか乗らない弱点と思われていた日本語ならではの長所です。日本語はアクセントが無いので母音が繋がっても発音できる様に、この譜面の様な複雑な音符の配置にも一つ一つの平坦な日本語を一音ずつ当てはめていくことで曲に対応出来るのですね。
そして、一番を月の雫と古来から呼ばれていた真珠の美しさとそれを愛する人へのプレゼントにする様子を真珠という単語を使わずに現してみました。その後のスキャットは日本語の持つ表現を大切に他の曲と一線を画した、誰でも歌える様な軽快な親しみやすいものに。2番は愛する人との出会いと未来に向けてを、やはり真珠の単語を一切使わずに書き上げてみました。
予め、送らせて頂きました評論家諸氏の方々の御評価もとても良く、没後六十八年でチャーリー・パーカーの世に出せなかった曲に光を当てる事が出来たと考えております。天国のチャーリー・パーカーに喜んで頂けたら幸いです。