東国三社参り(鹿島、香取、息栖) | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

今年のゴールデンウィークの最大イベントは、今迄一緒に旅行できていなかった母とプチ旅行で東国三社参り。
明治以前は、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社のみが神社の中で最高位の神宮でした。
そして、伊勢神宮以外の神宮である鹿島神宮、香取神宮と息栖神社を合わせた東国三社をお参りすると伊勢神宮にお詣りするのと同じ御利益があると信じられて来ました。
第二次世界大戦の時には、子供に弾が当たらないようにと兵隊の子を持つ親の方々が東国三社参りをされたそうです。
最近でもパワースポットブームで昔より脚光を浴びていますね。
大和朝廷の東国平定の拠点になった鹿島に鎮座するのが大国主の命の出雲地方を平定した後に鹿島迄来た武甕雷(タケミカヅチ)の命。
大国主の命の次男建御名方の命と力比べをして勝って出雲を平定したのが日本最初の相撲とも言われていますね。



江戸幕府初代将軍徳川家康公寄進の奥宮、二代将軍徳川秀忠公寄進の本殿、水戸藩初代藩主頼房公寄進の門。









静寂で風の音が包む長い長い参道に癒されましたが、足の悪い母はギブアップ気味。
母とプチ旅行で東国三社のうちの息栖神社に。
ここは、鹿島神宮の武甕雷の命(タケミカズチノミコト)と香取神宮のフツヌシノミコトが大和朝廷から東国平定の為に太平洋沿いから大船団で北上して鹿島と香取に拠点を構える時に道案内をした神様を祀っています。



東国三社参り、鹿島神宮、息栖神社と訪れて、
最後に来たのが、下総国一宮、香取神宮。祀られているフツヌシノミコトは、利根川の東側を平定した鹿島神宮の祭神タケミカズチノミコトと共に大和朝廷から東国平定の為に来て利根川の西側を平定された方ですね。
香取神宮は、平地にある鹿島神宮とは違って小山の上。周りをみまわせるお城の様な場所に鎮座しています。東国平定の拠点の一部というのもなるほどと感じる場所です。
足が悪いんで、最後は車の中で待っているかもしれないけどと母は話していましたが、門の脇の1番上の駐車場に停める事が出来て、母も参拝する事が出来ました。小山の下の駐車場から続く参道を昇り急な階段を昇る様でしたら、本当に車の中で待ってもらうしかなかったですが、近道からいって行けるところまで行ったら、門の隣で10段くらいの階段だけで済みました。
チャレンジはとことんしてみようと常に駄目元で行けるところまで行ってみると案外行けるものです。普段からの心がけが足の悪い母のサポートが出来、
無理かと思ったけど、来てよかった!
と、喜んでもらえてよかったです。