未来を見据えて、目先に一喜一憂せず、常に自分らしく | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

1月に入ってから既に、LIVE会場5か所で歌ってきました。

良い事、悪い事、奮い立つ事、勉強になると感心した事、様々な事が既にありましたが、全て自分の身になって来たと思います。

不正請求にしても、ピンチはチャンスに。選択肢が狭まれば、やるしかない事に集中できたりします。困難があっても、それ以上にやるべき事に集中する事に奮い立ったりします。

この程度でつまずいていたら、自分の理想に近づけないと達観出来るものと思います。

夢や目標がしっかりしていれば、困難の対処の仕方も自然と出来ないとお話になりません。叶えたい事があれば、乗り越えるだけですから。

 

今の目先だけで手一杯の中途半端な状態であれば、その場で止まってしまいます。

こういった悪い事は常にこれから降りかかってくる事もあると思えば、冷静に受け止められます。

自分のせいでないのに、事故となってお金が借りられなくなったら、作ればいいだけの話。

原資を如何にこれからの活動に役立てればいいか知恵をしぼればいい話。

 

ピンチではないですが、今迄やった事のないスケールに出会う時も同じですね。

LIVEデビューして3か月目の6月、亀有のJAZZフェスティバルで、640名収容のホールで30分枠で歌わせて頂きましたが、将来的にカーネギーや東京ドームで歌うんだと思えば、この程度なんてと思ったら、ノリに乗って歌っていました。

7月のかっぱ祭りの時も、メインステージの前の何千人かの前でも、富士の裾野などの野外で何万人も集まるところでやるのに比べたら楽なものと思っていました。

これは、六本木サテンドールの時も、通過点と思っていたら、初めての大箱のワンマンでも不思議に冷静にいながら楽しんで歌えました。

大箱で集客が難しいと言われて皆さん、大変でしょうと仰って頂きましたが、全力で日本語歌詞禁止のお店で初めての日本語JAZZをという目標に向けて兎に角一生懸命でした。

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先日の日本JAZZボーカル大賞のB♭の会場でも約200人一人一人の表情、反応を観乍ら歌えました。

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逆に、お客さんが0の時も2人の時もありました。

 

それでも、目の前のお客様に、誰もいなければお店の人に、演奏してくださる共演者の方に喜んでもらおう、もしかすると突然入って来られる方がいらっしゃれば喜んでもらえる様にと精一杯心を籠めて歌ってきました。

 

どんな時でも、自分は自分。その時その時を一生懸命。未来を見据えていれば、何があっても、自分は同じ。

 

私は、日本語歌詞をつけて心に風景を宿したり、

歌を繋ぎ合わせた物語を提供したり、

歌によって新たな文化を創出したいと思っています。

 

その目標さえしっかり持ち続けていれば、必ず夢はいつか叶うもの。

今迄の50年ちょっとの人生の中で、20年、30年のスパンで夢が叶った事なども、

気持ちがぶれなかったからこそと思います。

 

今の自分が人に理解されようがされまいが関係ありません。

 

今しか見れない人には単なるバカな奴です。

 

今現在しか見れないのは、傍(はた)からみたらそうかも知れません。

その時に今現在の姿をみてどれだけ滑稽だろうが、何を思うが自由です。

 

今のまま死んでしまえば、単なる中途半端な馬鹿なだけ。

 

笑われようが馬鹿にされようが、それは全然関係ない事。

 

今しか見ない時間軸で物事をとらえる事と、ずっと後世に残る事を創造しようとするのは水と油で当然。

 

わけもわからずに今を浪費して生きるよりは、自分のやりたい事、なりたい姿をしっかり見据えて、毎日を積み上げていくのでは全然違うと思うのですね。

 

やってやれない事はない。

やらずに出来る事もない。