夢を忘れず諦めず | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

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バスで帰宅後、1時間弱ランニングしてきました。 久し振りに近所をランニング。 それにしても、このブログの内容も、色々と変わって来ました。

2008年にブログを始めた時は、水戸市内の千波湖で卵を温めている白鳥や黒鳥が心無い中学生に無差別に30羽程殺されてしまった事件に義憤を感じて、水戸の良さを紹介しようと始めたブログでした。

水戸は、日本三名園の一つ偕楽園があります。

その偕楽園を自ら設計して、士農工商四民平等に開放したのが、水戸藩で名君として名高い第九代藩主徳川斉昭公。

文字を分解すると、

人、皆、楽しむ園

と書く偕楽園。

母校拓殖大学の校歌の一節、

【人種の色と血の境、我が立つ前に差別無し】

の志に似た響きを感じます。

その借景として、池の役目として広がっていたのが、千波湖。

偕楽園好文亭の御三階から庭を眺めると、丁度池が広がって見えます。

水戸の偕楽園は、斉昭公が四民平等に開放した志を受けて今でも無料で開放しています。

そして、その千波湖では、白鳥や黒鳥、鴨などの沢山の水鳥達が人と共生しています。

周囲三キロの千波湖は、ランニングや散歩やサイクリングのメッカですが、水鳥達が歩道を横切る時は、誰もが皆道を譲ります。

ランナーも歩行者も、自転車に乗る人も。

皇居でランナーが歩行者を恫喝するとか、人としてあってはいけない様な話はここでは観れない光景。

そんな千波湖の光景が誇りだっただけに、水戸の良さを伝えようと始めたブログでした。

大したことは出来なくても、少しでも水戸の人達の本当の良さを伝えようと思ったのでした。

それが、2009年の入れ替え戦から母校のアメフト応援を始め、2010年にエコノミークラス症候群で緊急入院してから走る事を再開。その年に母校のアメフト全試合に応援で呼ばれ、

何時の間にやら、どんどんと母校拓殖大学に深く関わりつつあり書く内容も変わりつつあります。

勿論、自分が何かを一生懸命支援する事で自分を育ててくれた母校に恩返しが出来るのであれば有難いと思っています。

母校のアメリカンフットボール応援では、最下位リーグのエリアリーグ(4部相当)に落ちた時に日本一を目指して復活するんだ!と現監督が立ち上がり、お前は応援をやってくれ、とOBの先輩方々から口説かれて、卒業後25年目で引き受けて、

応援でも日本一を目指そう!

と目標を定めて今迄来ました。

甲子園ボウルやライスボウルに行った時には、会場の誰もがびっくりするくらいの応援をしたい、

拓大の応援席に行くと楽しい!一緒に応援したい!

となって、アメリカンフットボールだけでなく母校拓殖大学にも恩返しが出来る様に昇華したいと思ったのでした。

それには、母校拓大らしさを残しながら、アメリカンフットボール応援に特化して、誰もが簡単に応援に参加できるようにしたいと試行錯誤を繰り返して来ました。

また、相手への野次や味方への檄は禁止して、拓大に対する負のイメージは全く出ない様に気を配って来ました。

あくまでもクリーンでシンプルな応援。

応援は相手を愚弄したり攻撃するものではありません。

みんな一生懸命に戦っているところに自分さえよければという、フーリガンはいりません。

だから、日本の応援には互いを称えるエールがあります。

そして、それを更に昇華して、甲子園や東京ドームに行った時にも恥ずかしくない、人を感動の輪に引き込めるような一体感を目指して行こうと思ったのでした。

OBも父母の方々も、試合を重ねる毎にまとまった応援を展開する一体感ある家族応援になってきました。

選手の背中を押すもの。それにひたすら特化してきました。

一昨年の1部での応援初挑戦の時は毎試合観客席が埋まりだし、一体感が出てきましたが、

現金なもので、2部に落ちてからは父母会とOB中心の家族応援に戻って来ました。

これはこれで仕方がありません。

全ては気持ちの問題。

また強くなり、徐々に共鳴の輪が広がって行けば良いと思っています。

自然と水鳥達に道を譲る水戸の千波湖の光景が出来るのと同じように、色々なシチュエーションが重なって行けばと思っています。

まだまだ、試行錯誤は続きます。

色々と学ぶべきところは相手校からも、他の競技からも、TVからも雑誌からも事例は転がっています。

少しでも良くしよう、と思う事が大事だと思います。

1部にいた一年間、関東のアメフト会場ではエール交換がありませんでした。

アミノバイタルフィールドの放送席と話をして試合開始15分前までに放送を終わらせてエール交換できるようにして、更に他大学同士のエール交換も間に入って実現したりしましたが、今度は1部に定着出来たらそこらへんも含めて、応援する側からも両大学が遣り甲斐のある光景が展開出来る様にしたいと思っています。

そして、また毎試合、2010年の1部での試合でいつも語り合って、その後年に一、二度お会いする度に覚えて頂いて声をかけて頂くアミノバイタルフィールドの売店のおじさんおばさんのカレ牛を食べたいものです。

アメリカンフットボールは大学の花形競技。

それが復権します様に。

どんどん各大学の応援が今迄以上に盛り上がり、関東王座決定戦や甲子園ボウルが地上波に復活出来ます様に祈念してもいます。


いずれにしても、私がこのブログを書く気持ちの底は変ってはいません。


思ったように何事も行きません。


身近な事でさえ、なかなか思い通りには進まず七転び八起きの連続。


でも、


理想を高く、


夢を忘れず、


諦めず


行きたいものです。


自分の本質は何も変わりません。

人が何かに一生懸命になり、楽しみ、共感を呼んでいき一体感を持つ

何も自分だけでない、自分達だけでない、それが色々な広がりを見せる


それがいつの日か、


人、皆、楽しむ園


があちこちに、色々な時に出来ます様に。