最期は自宅で | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

今日は風邪をひいている事もあり、走らずにテレビを観ています。

NHKのクローズアップ現代を観ていて、在宅看護で病院でなく、自宅で最期を迎えられる様にする動きになっているとの紹介をされていました。

在宅ケアの医師の方や患者さんの本人と介護する家の方の模様を流していました。
在宅でガン患者が過ごす場合、モルヒネ等を一切使わずに最期まで過ごす事が出来た人が多いそうです。
家で家族と一緒だと病院と違って気持ちが安らいで痛みを感じなくなるんだそうです。

そう言えば、私の父も癌で他界しましたが、家に帰りたい、とずっと話していました。

家でお母さんのカレーライスが食べたい、と。

12月に入院して年末に一時帰宅した父はカレーライスとけんちん蕎麦と言う我が家のソウルフード三昧でした。

心の安住の場所が一番の栄養なんでしょうね。

かかりつけの水戸国立医療センターが我が家からバスだと一時間半かかる茨城町にあり、当時の母は足が悪くて疲れてしまい、二日に一度の看護でした。


父は母に毎日夕方、電話をかけて来たそうです。

来た日は、


今日はありがとう、あしたはゆっくり休みなよ


来ない日は、


どう元気?


と、足の悪い母を気遣っていたとか。

父が他界した後、母がお父さんの建てた家を守るんだ、頑張るんだ、と毎日張り合いを持つことで、あちこち歩いて手続きもして、逆に若さが溢れて来たのも、愛するものを守ると言う生き甲斐があるからだと思います。

そういった意味では、母を楽させないと。

ローンもあと半分を切り、数年後にはなんとか収入も安定したら弟と一緒に母を韓国にでも連れていってあげようかとも思っています。

そして、母は家でゆっくり出来るように。

水戸の家には、母と父の思い出が沢山詰まっていますから。

自分の場合はどうなんでしょうか?

それからすると、このまま老後を孤独に過ごす事になるんでしょうか。

よく学生時代の友人から、お前は絶対駆け引きみたいな恋なんて絶対にできないやつだし、人と違うから、そんな奴がいいと馬があってあっという間に燃え上がってくっつく様な相手が現れない限りは孤独なまんまだな、と言われて来ましたが、確かに孤独なまんまです。

まあ、そうは言っても、癌になったら独りでも思い出が詰まっている水戸の家で最期を迎えたくなるでしょうね。

最期を迎える前は、カレーライスかスタミナラーメン冷やし、等の自分のソウルフードを食べて死にたいものです。
そりゃ嫁さんがいれば、何を食べるにしても嫁さんの手料理を死ぬ前に食べたら最高なんでしょうね。
父が母のカレーライスを食べたかった様に。
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まあ、孤独は嫌だけど、身の丈を考えて、

足るを知る

自分を必要とするところやお呼びがかかれば、元気でいる限り馳せ参じて自分の出来る事を精一杯する縁の下の力持ちが出切ればいいなと思います。


そう、必要とされない限りは自分の存在価値もないですからね。

その後観たバラエティ番組で、孤独死が怖くて再婚した、との話に、そりゃそうだ!と頷いてしまいましたけれども。

まあ、いずれにしても、孤独でもそうでなくても、病院で死ぬよりは自分の家で死にたいと、父の最期を見て思いは強くなりましたね。


自分の最後は安らかに家で往生したいものですね。

看取ってくれるものの有無にかかわらず。有るのと無いのとでは天と地以上に違ったとしても、それはまた別次元。

家と病院なら家が良いですね。

あくまでも、私の個人的な見解です。