水戸名物スタミナラーメンのレシピ | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

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水戸名物スタミナラーメン冷やし。

以前、大進と寅さんラーメンの中村オーナーが美味しい餡掛けのラーメンを出そうという話をして作らせたのが始まりと書きました。

今では創始者は、玄海の長井さんとなっていますが、発案は寅さんラーメンのオーナーです。

まあ、オーナーは発案して出資した人。
長井さんも、今のスタミナラーメンのレシピの原型をほぼ完成させた町田さんも月給で雇われていた料理人でしたが、料理自体は料理人のもの。

そういう意味では、ずっとやってきた長井さんが創始者でいいと思いますけどね。

長井さんの功績が消える事はありません。

水戸名物までしたのは、長井さんである事は間違いありません。

勝田にしかなかったスタミナラーメンから、水戸に店を出して弟子を育成した功績は非常に大きいですね。

それに、破天荒なキャラクターなのが客を呼び込む秘訣だったと思います。
あのキャラクターは最高です。

それにしても、残念でならないのが、ネット世代になる前にスタミナラーメンから離れた町田さんの功績。
何故ネットで今まで話題にも上らなかったかは不思議です。

目の当たりにしてきた当事者の一員として、今一度掘り起こしてあげたいと思っています。

町田さんは、同じものばかり作るのは飽きたから、と、止めて今は料理人として六十半ばの今でも水戸のある店にいらっしゃるそうです。

寅さんラーメンのオーナーから餡掛けラーメンの発案が出て三種類の試作品を作ったのが町田さん。

麻婆餡掛け

酢豚餡掛け

レバニラ餡掛け

オーナーから選ばれたのが、レバニラ餡掛け。

しかし、探求心旺盛な町田さんは、その後も改善を重ねて、キクラゲやシナチク、タケノコ、椎茸、カボチャなどを試して、辛い餡掛けに甘いカボチャがピッタリ合うのを偶然に発見したのです。

それも、勝田駅前の寅さんラーメンの真向かいにあった八百屋で大量に売れ残ったカボチャをタダ同然で仕入れてカボチャでボリュームを出してみたら面白いんじゃないかと閃いたのがキッカケでした。

試作品は、いつも勝田高校応援団の土曜日の一日練習の終わった夕方に出してくれていました。

たまにタダで奢ってくれる良い人と思っていましたが、実は今で言うモニターだったんですね。

もっとも、客と店の信頼関係がなければ出来ませんでした。

そういえば、酢豚風も食べましたが、あれは駄目だったですね。オーナーがニラレバ餡掛けを選んだのも分かります。

書いているうちに、色々と当時の状況を思い出すから不思議です。

長井さんが入院している間に、町田さんと勝田高校応援団との合作でカボチャ入りスタミナラーメンが出来ました。

それから、四個以上食べると名前を大きく載せてくれるので、大食いチャレンジをして成功した一年生には三年生が奢っていたので、店の壁は勝田高校応援団の名前だらけ。

またその噂を聞きつけて、北は日立、南は土浦から電車に乗って、工場以外は周りに何もない勝田駅に挑戦者が来たものでした。

昭和56年の事です。

懐かしいですね。

町田さんは、その後茨城町にあった水車という義理のお姉さんのやっている店で餅入りスタミナラーメンをやっていましたが、現在そのお姉さんは後輩のやっている店『我流食堂』で昼間手伝って頂いているとの事。
後輩が当時からの深いつながりで町田さんからレシピを教えてもらった事も縁の様です。

後輩も、そのままにはしないで、餡掛けのブレンドを工夫して水っぽくならない最後まで美味しい餡を作り、和食の料理人で培った下ごしらえで材料の一つ一つに息を吹き込んでいます。

昭和56年に原型が固まったスタミナラーメンが色々と手が加えられて様々な店で様々な味が食べられる。

今の水戸の人間は幸せです。