アメリカ横断ウルトラクイズでは、同じ街に何度か訪れるという事も良くありました。
まず、グアム、ハワイはお決まりのコースだったので、飽きもせず毎回訪れています。
また、アメリカ本土の入り口として、ロサンゼルス、サンフランシスコも何度となく訪れ、その都度クイズ会場を決めるのにあれこれと悩みました。
思いつくままに挙げるなら、ラスベガス、ワシントン、アトランタ、メンフィス、この様な街にも複数回訪れていました。
中でも思い出深いのはニューオリンズです。
最初は確か第4回だったと思いますが、その後も何度か訪れクイズを行っています。
ニューオリンズと言えば、誰でも思い浮かぶのがジャズの本場という事でしょう。
第15回でニューオリンズへ行った時の事です。
考えてみれば、何度もこの地へ来ているのに本格的にジャズのクイズをやった事が無いのに気が付きました。
ジャズが生まれた本場に来たのだから、クイズの全編をジャズで埋め尽くしたらどうなのか、という意見が出ました。
制作スタッフの全員がジャズ好きなら問題はないのですが、中にはヘソの曲がった人間も結構いたりします。
「ロックなら良いけど、ジャズなんて古臭い!」
と極端な意見を吐いて反対する若者もいました。
しかし、戦後アメリカ文化に憧れた私の年代はジャズファンが圧倒的に多かったので、
「本場に行くのだから本場の魅力を存分に出そう」と、強引に説得を始めたのです。
そして、ロケハンでは本場のジャズを存分に堪能し、スタッフ会議ではジャズの魅力を力説しました。
「全編ジャズで番組は面白くなるのか?」という不安の声もありました。
しかし、その様な心配を全て吹き飛ばすほど、ジャズ尽くしのクイズは楽しいものになりました。
クイズ会場はフレンチ・クオーターのバーボンストリート。
ジャズのお店がずらりと軒を並べ、夜ともなるとアチコチのお店のドアから、軽快なジャズのリズムが流れて来るのです。
この地で、バンドマンによる美しいジャズのメロディーが奏でられる中、ジャズの歴史をお勉強しようという仕掛けでクイズを行いました。
しかも、クイズの形式は、挑戦者にジャズの知識が全く無くても答えられるような方法にしたのです。
即ち、3択クイズです。
例えば以下のような問題が並んだのです。
問・ニューオリンズ・ジャズと時を同じくして、お馴染のデキシーランド・ジャズが生まれましたが、これを演奏していたのは誰?
①白人 ②黒人 ③インディアン
答・①
解説
労働者階級の黒人が作ったジャズという音楽を、白人たちも演奏し始めたのです。当時、黒人たちの演奏するジャズを「ニューオリンズ・ジャズ」というのに対して白人の演奏するものを「デキシーランド・ジャズ」と呼んで区別していました。
問・クラシックの殿堂、カーネギーホールで、史上初のジャズコンサートを開いたスウィングの王様と言えば誰?
①ベニー・グッドマン ②グレン・ミラー ③デューク・エリントン
答・①
解説
ベニー・グッドマンはラジオ番組で人気を博し、スウィング時代に一番最初に成功し、スウィングの王様と呼ばれた人物です。
ゲレンミラーは不滅のバンドリーダーとして、映画にもなった伝説の人。ジェームス・スチュワートの主演でアカデミー賞にもノミネートされています。
デューク・エリントンは、ジャズの神様と呼ばれ、名作「A列車で行こう」はその代表作です。
この様なクイズをジャズ演奏の流れる中で行いました。
本場へ行ったら、本場の味を堪能する。自然の流れに逆らってはいけません。