アメリカ横断ウルトラクイズは全部で17年間に渡り放送されました。
この番組に挑戦した方は、相当数にのぼります。
第1次予選を通過して、空港まで行った方だけでも、単純計算して1,700人の皆さんが、ジャンケンに挑戦したわけです。
その内の半分の方が飛行機に乗ってニューヨークを目指したことになります。
我々スタッフはそれらの方達と一緒に旅をしました。
このブログを書き始めてから、一緒に旅をした挑戦者を初め、沢山の方からコメントを頂いています。
普通の番組ならば、一緒に外国を旅した仲間ですから、お互いにもっと親しい間柄になってもおかしくは無いはずです。
しかし、ウルトラ・クイズの場合はスタッフと挑戦者が仲良く、或いは親しく言葉を交わす事を意識的に避けてきました。
その理由については、以前にもこのブログで書いた事がありますので、割愛しますが、最近ウルトラクイズはドキュメント番組を目指して作っていたというお話を書きました。
すると沢山の方たちからコメントが寄せられました。
なぜ、ドキュメントだったなどと書いたかと言いますと、それには訳があります。
というのは、このブログの読者の方のコメントで、挑戦者が或る時スタッフを困らせてやろうと、同じ色のTシャツを着たという話がありました。
つまり、着る物が同じだったら、我々が挑戦者を区別出来なくなるだろう、という意味だと思いました。
つまり、挑戦者と私たちはいつも一緒に旅をしていますが、顔も覚えていない間柄と思っていたと言うわけです。
それに対して、我々は挑戦者に対し、そのような無関心な気持ちでは無かったと言う事を言いたくて、あの記事になったわけです。
つまり、挑戦者の皆さんはスタッフの顔と名前が一致しなかったでしょうが、我々スタッフは、挑戦者の名前と顔どころか、性格や特技、趣味に至るまで情報はみんな掴んでいたのです。
それで無ければ、人間ドラマを描くことなど不可能です。
そのような意味も兼ねて、あの記事を書きました。
皆さんのコメントは、殆んどが好意的に受け止めてくださったので、胸をホットなでおろした所です。
意識的に微妙な距離感を作り出していたのです。
我々の反省点は、最初の外地グアム、或いはサイパンあたりで、
「これから一緒に旅をするスタッフです」
と言うような名前、役割紹介を兼ねた簡単な食事会をやるべきだったのでしょうね。
でも、旅の初日は翌日の準備が忙しかったので、そのような余裕が無かったのも事実でした。
何はともあれ、読者の方のコメントのおかげで一本書けました。
ありがとうございます。