アメリカ横断ウルトラ・クイズでは、何故かギャンブルの街をよく訪れています。
アメリカのギャンブルの街といえば、代表はラスベガスでしょうね。
この街には何度となく訪れました。
その他では、第2回で訪れたリノがあります。
この地も我々は2度ほど行きましたが、ギャンブルに関するクイズは、最初の時だけでした。
第9回には、東海岸第1のギャンブル都市アトランティックシティを訪れました。
何故ギャンブルの街をクイズ会場の候補にするのかと言えば、我々スタッフがギャンブル好きだったから、と言うわけではありません。
それよりもクイズ形式を考える時に、ギャンブルのルールを取り入れた物が面白く、
「よし、それをやろう!」
と会議で決まってしまう事が多いのです。
そうなると、確かにギャンブルの街は、華やかな雰囲気があって、テレビ的には興味を盛り上げる要素が多いのは確かです。
我々は、その年のコース上にギャンブルの街があるのかを調べ、ロケハンを行い、クイズ形式の準備をして、実施という手順で進行します。
第9回で訪れたアトランティックシティは、同じギャンブルの街ラスベガスとは印象がかなり変わっています。
砂漠の中に忽然と現れるラスベガスは、街全体が電飾で飾られたきらびやかな雰囲気ですが、こちらは東海岸のリゾート地として発展した都市だけに、落ち着いた伝統ある街という印象です。
この街の特徴は海岸線に沿って作られたボードウォークという道です。
資料によると、幅18m、長さ7kmの道ですが、全面が板張りのデッキ状なのです。
歴史的には1,870年に作られたのだそうですが、散歩するにはこれほど、歩き易い道はないでしょうね。
地形的にはニューヨークやフィラデルフィアに近いので、大都市近郊のレジャー地として発展していた街のようです。
今では東海岸を代表するギャンブルの街として知られていますが、実はこの地にカジノが誕生したのは、それほど昔ではありませんでした。
海辺のリゾート地として、寂れてしまったために、1,976年にカジノを作って町興しをしようという事になったのだそうです。
大都市に近いので、これなら人が集まるだろうという計画ですね。
日本でも昔、熱海の再発展を目指して、「熱海にカジノを」という動きが出た事がありましたが、そのお手本のような企画がアメリカでも起きていたのでした。
我々が訪れたのは、1,985年でしたから、カジノで売り出して9年目の事、街は大歓迎で我々を迎えてくれました。
普通カジノでの撮影は、お客のプライバシーの問題もあって、細かい制約が多いのですが、面倒な事も無く、実にスムーズに進んだのは、偶然とはいえ相手の喜ぶタイミングで、我々が訪れた結果だと言えるでしょう。
その頃は番組も勢いがありましたから、ツキがあったと言う事でしょうね。
この、アトランティックシティは、ニューヨークから車で3時間半位の場所にあるので、休日ともなると1泊か2泊の予定で、家族連れや恋人同士がやってくるので、結構な賑わいを見せていました。
日本で言えば、東京に近い熱海といった感覚でしょうね。
ボードゥオーク沿いには、カジノを備えたホテルが建ち並び、我々はギャンブルのブラック・ジャックに因んだクイズを行いました。
クイズに正解するとカードが1枚もらえ、2問正解で運が良ければ上がる事が出来ます。
つまり、カードの合計が17以上21までになれば通過できるのです。
ところが、運悪く、引いたカードの合計が21を超えてしまうと、ドボン(バースト)といって、得点は0に逆戻りしてしまうのです。
そんな馬鹿な!と思われるでしょうが、それがギャンブルの面白さなんですね。
ギャンブルに強い人、苦手な人、それぞれの悲喜こもごもの運命を背負って、挑戦者の方々も苦労をしながらクイズが行われました。
知力、体力、時の運が売り物のウルトラ・クイズですが、ギャンブルの街ではやはり、時の運が第一だったようでした。