ウルトラクイズが人生を狂わせた? | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラクイズがスタートした頃には、まだ海外へ出て行く日本人が珍しい時代でした。
今のように若い人達が、気軽に海外旅行に出かけるなんて夢みたいな話しだったのです。
そんな時代にクイズに正解すれば、ニューヨークまで旅が出来るというのですから、クイズ・ファンにとっては夢中になるのは無理もありません。
クイズに参加する資格として、パスポートを所有する事という条件がありました。
そのために海外旅行の予定も無いのにパスポートを取得する人が増えたのも、ウルトラクイズが話題になったためと言われています。
 
て、ウルトラクイズがスタートして5、6年目のことです。
ロサンゼルスクイズが終った日、時間が出来たので街にお酒を飲みに出かけたのです。
日本人がよく集まると言われるクラブへ行くと、我々の席に日本人のホステスさんが何人か付きました。
世間話をしている内に、そのホステスさんの1人が言うのです。

「いま、ロスにウルトラクイズのロケ隊が来ているのを知ってる?」

我々は驚き、しかし惚けて聞きました。

「何でそんな事が解るの?」

「だってさあ、ロスのあちこちでウルトラのTシャツやキャップをかぶった人たちを見かけたのよ。きっとロケをしているんだわ」

↓スタッフはこんな帽子を被ってウロウロしてました。

ウルトラスタッフ帽子


「へえ。ロスに住んでいて日本の番組をよく知っているね?」

「そりゃあ知っているわよ。私がこんな所でホステスをやっているのは、あの番組のせいだもの」

「ええっ!」

「私にとっては恨みの番組!どんな奴が作っているんだろ?ぶん殴ってやりたいわよ」

「あの‥‥?」

我々はウルトラスタッフだという事を言い出せず、顔を見合わせました。

ると彼女は笑いながら、身の上話を始めたのです。

「実は2年前にウルトラクイズに申し込んだの。ところが羽田でジャンケンに負けてさ、パスポートは持っているし、お金も持っていたのでそのままアメリカに来ちゃったの。でもその内お金が無くなって、そのまま居ついてしまったってわけ。ウルトラって罪でしょ。私も馬鹿だけど、アハハッ」

だって。

るく笑っていた女の子でしたが、その後どうなったのでしょうね。
すでに、40歳は過ぎたはずですが、ウルトラクイズが彼女の人生を変えるきっかけを作ったことだけは確かなようでした。

↓番組中のジャンケン

ジャンケン