おはよう!
今日もブログを読んでくれて、ありがとう。
その時私は、まだ自己分析の重要性なんかわかっていなかった。
しかし、自分が世間に通用する何物も持っていないと知ったとき、自分の何を磨けばいいか必死になって探したことが、期せずして初めての“自己分析”につながった。
しかし、この時の自己分析の仕方は、まだまだ未熟であった。
自分が社会から認められるために、自分の何を活かせばいいか?自分はこれまで何をやってきたか?自分は何が得意なのか?どのレベルなら社会から求められ稼ぎにつながるのか?
これまで考えたこともないような視点で、自分という人間を把握しようと努めた。
このとき、33歳であった。
ちなみに、この時代(2000年頃)は、まだまだ転職が一般的ではなかった。特に大手企業に勤める人間が転職しようとすると、周囲は総じて反対する時代だった。
しかも、転職するなら35歳までという、暗黙の基準めいたものがかなり強くサラリーマンの心を支配していた。
そんな事情もあり、私は焦ってもいた。
自分のリソースは何だ???
*小さいころから、住宅の見取り図などを見たり書いたりするのが好きだった。
⇒ハウジング系の出版社の求人に応募⇒書類で落選
*生保で仕事をしていたので、女性のマネジメント経験は豊富だった。
⇒エステティックサロンのマネジャーの求人に応募⇒書類選考で落選
*生保でイベント企画・運営を担当したことがあり、ノウハウと人脈を持っている
⇒大手コンサルの展示会運営担当の求人に応募
⇒書類選考合格⇒筆記試験合格⇒二次試験(英語面接)で落選
*生保における上記イベント企画・運営に加え、社員対象とした勉強会も実施し、好評であった
⇒ビジネススクールの運営担当者の求人に応募
⇒書類選考合格⇒筆記試験合格⇒二次試験(面接)合格⇒採用!
ということで、4社目で採用となった。
給与もかなり好条件であり、社長からは「当社は今、事業を拡大していくところだ。ビジネススクールの運営だけでなく、そういった企画全般に関わってほしい」と言われ、総合企画部の名刺をいただいた。
久しぶりに、希望に胸が高まった。
初めての転職、そしていきなり経営の中枢への配属・・・。
思えば、小説家をあきらめ、採用試験不合格を重ねたこの半年間、ずっと失意の底にいた。
でもあきらめず活動してよかった!
ただ、ひとつだけ不安な要素があった。
入社してから知ったのだが、社員5人のベンチャー企業だった。そりゃあ、いきなり中枢を任されるのも当然だった。
あとで言われたのだが、総合企画部というのは、別名“何でも屋”ということだった。
転職にあたり保証人を父に頼む際、5人の会社とは言えなかった。20人というつまらないウソをついた。それでも大手企業のサラリーマンを40年続けていた、バリバリ保守派の父が、よく認めてくれたなぁと、あとあと思った。
とにかく私は、私を採用してくれたこの会社で、社会人としての第二のスタートを切った。
私の入社からほどなく、もう2名が採用された。一人は40代後半の経理担当者。税理士の有資格者だった。もう一人が、20代のIT担当者。この若い彼が、ちょっとした雑談の中で言った言葉が、私に衝撃を与えた。
もしかすると、とても当たり前のことなのかもしれないが、当時の私には全く持ち合わせていない価値観だった。
では、明日は、そんな彼とのやり取りからブログを始めよう。
ブログは毎日書くので、お楽しみに!
byやすにいさん