こんばんわ!
いつもブログを読んでくれて、ありがとう!
し、しかし・・・なんと4日間も書かなかった。
言い訳だけど、実は、おとといちゃんと書いたんだ。
ところが、PCが勝手に何かの更新(ITオンチには分からなかった!)を開始し始め、その影響でシャットダウンされてしまい、1時間半かかって書いた記事が消失してしまった。
こういうことがあるから、なかなかITと仲良くなれない。
ブログを始めてこちらからITにすり寄ったというのに・・・。
午前2:00から3:30まで書いていて、あとちょっとで仕上がるというときの出来事だった。
心が折れそうになり、4:00まで放心状態だった。
でも、ここでやめたら、今までの弱い自分と何ら変わらないじゃないか!って奮起し、4:00~4:30まで、消失した記事をもう一度思い出し、何とかブログに掲載しようとした。
ところが・・・こともあろうに今度は自分の操作ミスでブログを閉じてしまい、またもや消失・・・。
もはや完全に心が折れ、そしてその日も研修の仕事があるので、6:30に目覚ましをかけ、布団にもぐりこんだんだったのだ。
さすがに起きるのがきつかった!!
何事かをやり終えての2時間睡眠なら、どーってことないんだけど、喪失感と怒りにまみれての2時間睡眠は地獄だった・・・。
でも、こんなこと、IT難民じゃない人には「何やってんの?」って感じだろーなー。
さて、愚痴ったのでキッパリと切り替え、今日からまた毎日ブログを書く。
どうぞご期待を。
第一回の“ディナーワイン”。
題名にふさわしく、濃厚な記事でいこう!
11~12日まで、某社の新入社員の方々の研修を実施していた。
研修に先立ち、事前課題を出しておいた。
こちらからのいくつかの質問に対して、レポートしてもらう形式の課題だ。
そのうちの1つ
「仕事は何のためにするか?」ってゆー設問がある。
新入社員に事前課題を出す際、私は必ずこの質問を入れる。
13名が参加されたが、13名とも「生活のため」とか「お金をもらってほしいものを買うため」という回答だった。
プラスαで「社会に貢献するため」「国民の義務」と回答した方もいた。
これは当然予想された回答であるが、なぜ私は必ずこの質問をすると思う?
それは、私自身が生活のために仕事をしていたときは、仕事なんか全然楽しくなく、毎日がツラくて、酒や遊びに溺れ、日曜の夜と月曜の朝が憂鬱で、どーしようもなくシンドかったからなんだ。しかも、大した成果をあげられていなかった。
そこで、研修を通じて一人でも多くの方を、「生活のために仕事をしている」状態から解放したいと思っている。それが個人の能力を解放し、最終的には私を研修講師として起用してくれた企業への利益につながっていく、と、強く信じている。
では、仕事は何のためにするのだろう?
ここには、仕事をする側における「目的と手段の逆転」という落とし穴がある。
仕事は何のためにするかってことを考えるには、そもそも「なぜその仕事があるのか」を考えることが先だ。そうすれば、「社員の生活を支えるため」なんていう答には及びようがない。
ある八百屋さんが経理担当者を雇った。それは、経理担当者の生活を支えるためか?
そんな馬鹿なはずはない。じゃあなぜ雇った?
手間暇のかかる経理事務から自分を解放し、仕入れと販売に集中して、より収益を上げるため。これなら分かる。
もう少し純度を高く表現すると、「仕入れと販売だけに専念する」ためだ。
ということは、経理担当として雇われた人は、八百屋の店主を「仕入れと販売だけに専念させる」ことが目的となる。
これだけでは終わらない。
店主が仕入れと販売に専念できたら、どうなる?
よりよい野菜をよりリーズナブルな価格で仕入れ、ポップや陳列を工夫し、消費者への認知度を高め、「イイものがより安く」どんどん売れていく。結果、より多くの地域住民の食生活が豊かになっていき、八百屋も儲かり、儲かった八百屋はさらに仕入れの手を広げ、店舗展開し・・・より多くの人たちがよりたくさん、美味しい野菜を食べることができ・・・。
ということは、雇われた経理担当者の究極の目的は、地域住民の豊かな食生活っていうことになる。
雇われた経理担当者が、店主の野菜に賭ける想いに惚れ、自分が頑張って働くことで店主を本業に専念させ、地域の人たちが今よりももっともっと美味しい野菜を食べられるようになる・・・もしここまでイメージしたら、どんな仕事ぶりになるだろう?
例え自分の与えられた通り一遍の経理事務をやり終えても、コスト分析を行って無駄な仕入れを指摘したり、売れ筋死筋をアドバイスしたり、ポップづくりを手伝ったり。
当然店主からは感謝され、存在価値は高まり、店の収益が上がれば給与が上がる。
生活のために働いてないが故、結果として給与が上がって経理担当者の生活も豊かになるだろう。
逆に、雇われた経理担当者が、自分の生活のためだけに働くという発想だったら、どんな仕事ぶりになるだろう?
モチベーションは生活のため=給与であるわけだから、自分が「給与分はたらいた」と認識すれば、それ以上仕事をしようというモチベーションはあがらない。
しかも「給与分のはたらき」はあくまで自己認識だ。その認識が店主の認識より低ければ、たちまち店主の不満を買い、場合によっては小言の一つも言われるだろう。
そうするとそれが引き鉄でモチベーションはさらに下がり、それが仕事の質にも反映し、存在価値も上がらず、結果いつまでも給与は上がらない。
つまり、生活のためにと思うが故、結果なかなか生活はよくなっていかない。
そして、さらに重要なことは、
どっちのほうが楽しく面白く充実感があるか
ってことだ。
こうやって書けば、誰もが「そんなの当たり前じゃん」って思うだろう。
でも、新入社員研修で事前課題を出すと、9割以上が「生活のため」と回答するのが現実なんだ。
この現状で、日本の生産性は本当に上がるの???
テレビでも新聞でも、アベノミクスの話題が飛び交っている。
でも、「何かおかしい」って気づかないか?
結局は経済政策だろ?
経済を支えている根本理論って何だ?
「人間は経済的に合理的な行動をとる」だよね。
経済的に合理的な行動って何だ?
それは、
「まず、自分が最も得になるような判断に基づく行動」
じゃないのか。
これをさっきの「働く目的」に当てはめたら、「自分の生活のために給与分だけ働く」って発想のほうを支持することになる。
毎日、働く人たちと向き合う仕事(コンサルティング)をしていると、金融政策や財政政策がとてもむなしく思える。
確かに一定の効果はあるだろう。
でも、そんなことじゃ最終的に何の解決にもならないってことは、歴史が十分すぎるくらい証明しているじゃないか。
東日本大震災後の義援金やボランティアの現状を知っても、まだ「経済的合理性至上主義」を見直そうと思わないのだろうか?
日銀が札を刷らなくったって、政府が国民の税金をばらまかなくったって、「働く目的」を取り違えなければ、まだまだ社員の知恵は湧く、アイデアも出る、そうして生産性は上がる。
「人を見ないで金を見る」
「人間の本質に訴えて人間を動かす」のではなく、「人間の目先の欲望に訴えて人間を動かす」
なんか、むなしくないか?
ちなみに、昨日の研修の最後に、新入社員一人ひとりに「今後に向けて」ってテーマで短く発表してもらった。
2日間で非常に多くのことを学んだにもかかわらず、以下の意見が大半を占めた。
「仕事の目的は給与や生活のためではなく、それを求める人、お客様のニーズを満たすためなんだと知って、ショックだった。でも、それが分かったおかげで心が楽になり、明日から頑張れそうな気になった」
昔も今も、若者たちは優秀だ。ちゃんと考えればわかるんだ。
ところが、親も教育者の多くも、世間の赤にまみれて馬鹿になっちゃってるから、「いい学校を出ろ、いいところに就職しろ。そうすれば人生はうまくいく」って感じで、まず自分たちが得すること第一の価値観で子供を洗脳するもんだから、素直な若者たちは「仕事は何のため」って聞かれると、「生活のため、お金のため」って答えるわけだ。
オセロ中島の洗脳のニュースに関心を持つ親ほど、自分はもっとキョーレツに子供を「利己主義」に洗脳しているかもしれない。
さて、上記の新入社員のうちの一人は、目をキラキラさせながら、こう発表した。
私はこの人のことを一生忘れないと思う。
「いまから月曜日の朝が待ち遠しくてワクワクしてきました」
これこそ、サイコーの人生じゃない?
すくなくとも、私はそう思うし、私は今、月曜日の朝がチョーワクワクする。
ってゆーか、研修やコンサルの日の朝は、毎日ワクワクする。
ずっとこのままでいたいし、そうなるようあらゆる努力をするつもりだし、そしてこんな気分を全ての人と共有したい。
その日まで、自分の仕事は終わらないし、このブログも終わらない。
あっ!言い過ぎたかな?
でも、それくらいの意気込みでブログも継続したい。
byやすにいさん