ありがとうに限らず、言葉によって財力も権力も生むことがあります。言葉とは伝える道具なので、難しすぎて理解されない言葉も、優しすぎて安そうな言葉も、魅力的とは言えません。「ありがとう」の中にも、より高価な言葉が見つけられるはずです。

 

私は両親の教育に恵まれて、子供のころから「ありがとう」をしつけられていました。ある学校の集まりの時に、母親が私の洋服についたホコリを取った瞬間、「ありがとう」と私は言ったそうなのです。すると何人もの父兄に驚かれ、見る目が変わったそうです。

このように、私は無意識の「ありがとう」だけでかわいがられることが大人になった今でも度々起こっています。「ごめんなさい。」という言葉も同じ力を持っていると思います。

 

では、具体的にどれくらいの力があるのかを例を出して示してみましょう。

「ありがとう」を自然に出せない人が、お仕事でお客様のご自宅にお伺いしたとき、手ぶらだと「失礼な人」と思われたり、「ケチな人」と思われたり、「常識のない無知な人」と思われたりします。

「ありがとう」を無意識に使う人は、行くだけで喜ばれます。

「ごめんなさい」を自然に出せない人が、失敗のお詫びにお伺いしたとき、高価な菓子折りを手渡しても、「気持ちがないよね。」「菓子折りでごまかせると思っているのかね。」と思われたりします。

「ごめんなさい」を無意識に使う人は、菓子折りなんかなくても、気持ちだけで良かったのにと思われます。

 

同じ気持ちで臨んでも、「ありがとう」や「ごめんなさい」がうまく言えない人は、損をしているようです。

 

これは難しい話で、「ありがとう」はその時の気持ちだけでは伝わらないという意味なのです。端的に言うと「日頃の行い」ということになりますが、それでは無意識になるための答えには辿り着きません。

 

ここでいう「日頃の行い」とは次の2つを意味します。

①自分に対し、他人に何かをやられた時に、相手の立場(身分・年齢・好き嫌い)を分け隔てることなく、自分の為を思ってやってくれたのかを、物事の大小にかかわらず全てに必ず正しく判断する癖がある事。

②国語力が高いこと。

①がある人だから、家族にも毎日「ありがとう」が飛び交うし、赤ちゃんに対してでも「ありがとう」と伝えられるのです。

では、②はどういう意味でしょうか。「ありがとう」や「ごめんなさい」には言葉の裏側の意味が重要なのです。それを聞かれて説明できない人は、おそらく国語力が足りません。「ありがとう」って言った後に、言われた人から、「何か、やったっけ?」とか「どういう意味?」とか「気持ち入っているの?」とか聞かれることは頻繁に起きます。その時に言葉が出ない人が、その後「ありがとう」をいうことを躊躇してしまうのです。これは、気持ちを伝えるための語彙力が欠けているということになるのです。小さいころから「ありがとう」という数が少ない人ほど、経験が減りますので、年齢にあった国語力が身に付かないのです。

 

この2つが備わっているかどうかで、『ありがとう』に『日ごろの行い』として圧し掛かるのです。

「高価なありがとう」が収入を増やす例は多くはないと思いますが、本人・家族の心や人づきあいは綺麗になると思います。しかも、「安価なありがとう」は支出面を大きく増やす要因となります。