今の世で主婦が暇を持て余しているときに罪悪感を持つことは当然おきることでしょう。この罪悪感に違和感を覚えているなら、原因は単純なものです。「男女平等」という言葉のせいです。
主婦とは、サラリーマンの男性が会社で働き、奥様が家庭を守る制度に成り立つ言葉です。だから主婦である以上男女平等とは男女同等ではかろうじてあったとしても、男女同じ役割ではないのです。
しかし、現在使われている男女平等という言葉は、男性社会で働く女性のために作られたとして、男性が作りだした言葉なのです。
そこに、後付けで主婦が都合よく使い始めたので、「夫婦は男女平等だよね。」という文法が出来てしまいました。
当然、同じ仕事を同じ役割で同じ成果で行っていて、子育てや家事も分担できている夫婦であれば、この文法は正しく使われるケースが多いです。しかし、こんな家庭はめったにいないでしょう。
そこで、ゆがみ具合を記してみます。
主婦制度が出来たときにから働き方が変わらない世代別平均年収の2倍以上サラリーを支払っている会社や団体の従業員がご主人の主婦は、昔ながらの役割が強いので、テレビや近所で「男女平等の世では主婦も働くのは当然。」と言っている情報が耳に入ると罪悪感に陥ります。やるべきことが違うことに気が付いてないのです。
平均収入の家庭では奥様も100万円位の収入が必要になります。だから男女平等の精神に近づけ働くことが正常となります。旦那を支えるくらいなら私が稼ぐという考えで、暇を作ることは罪となります。
では、家計において収入が必要ない主婦はどうでしょうか?主人を支えるための余裕を作る事、つまり暇な時間が多ければ多いほど正常に主婦業が機能するのです。
現在陥りがちな恐ろしい考え方の事例では、家計において収入よりも主人への支えが優先される主婦が、夫を支える気がなく、暇を作らない事。それとは逆に、家計において主人を支えている場合ではなく収入が必要なのに、主人を支えなきゃと思っちゃう奥様。だいたいこの2パターンの勘違いに導かれるでしょう。
ルンバに任せて習い事に行く主婦をカッコいいと謳う流行メーカーに惑わされると、まるで女性の役割を放棄することが男女平等と思ってしまい罪悪感に陥る仕組みです。ご主人は男性の役割を放棄しないのでなおさらです。