人は饒舌な人と、話すことが下手な人がいるように見えます。しかし、シチュエーションが変われば饒舌な人もおとなしくなり、おしゃべり下手な人が堰を切ったように話し出します。
これは、得意分野では人は話が盛り上がるということであり、苦手な人は、得意な人より話がうまくできないということです。
でも、いつもどこへ行っても話を聞かせっぱなしの人がいます。彼らは話を聞かされる人とどこが違うのでしょう。彼らは、自分の得意分野に話題をすぐにすり替えています。苦手な話題を回避しているということです。そして、話を元に戻そうとしても、力業で阻止するのです。このやり取りに屈した方が聞き手に廻されるのです。
これは、話をいつも聞かされて本当に困っている人の場合です。実は、聞かされているのではなく、話をさせているというケースがあるのです。
母親と子供の関係を構築する会話です。母親は子供の話を聞いても、自分のペースで覆い続けられる圧倒的なパワーをもって話を聞くことができます。
子供がいくら会話という武器で、自分のペースにもっていこうとしても、全てを読んで黙ってそれを受け止められるのです。たとえるなら、相手の剣を避けることなく、優しい目だけで屈させる会話です。「長老やカウンセラーや達人は多くを語らず、相手の話を受け止めるだけで物が伝えられる。」というやつです。「話した方がみじめになる。」なんて言葉もここから生まれます。
聞かされている人は実は聞く余裕があり、話している人は間を作る余裕がない人なのです。会話が続く人は楽しませてくれる反面、同じくらい不快感を与えることがあります。会話の間はつまらない時間を作る反面、心地よさも与えてくれます。いずれにしても「間」が無いのも、「間」が長いのも問題です。
たとえ、人の話を聞かされることが多い人でも、「間」のバランスを考えて今まで通り会話を続けるしかありません。それで相手が、あなたに話してばかりの人は「あなたより余裕がない人」、間延びする時は「あなたより面白味の足りない人」と理解してあげれば、会話の辛さを少しは解消されます。つまり、同じ相手では攻守逆転はどうしてもできないのです。
会話がつらいときは、相手の心に施しをしていると思えるようになれば、「徳」は積めるようになります。くだらない説教や愚痴を無意味だと思って聞かされ続けても、年月が経つとプラスに転じるものです。勉強にならないからくだらない本は読まないし、くだらない会話はしないというのはもったいないです。どんな本も、会話も、徳を積んで知恵を得るためツールの一つなのです。