日本語指導支援員をしていますうりぷかと申します。

 

アルパカ君の学校の指導も始まりました。

指導、高学年になると悩ましくなります。

日本語がゼロならこれはもう仕方ない、のですが、ベラベラに話せて先生の言うことも分かっている、ただテストがあんまりできない、漢字が弱い、文章が書けない、教科書の理解があいまい、というレベルになると、できなかったテストをやり直す、書き終わっていない作文をやっつける、教科書の「その文」を説明する、のようなその場しのぎが精一杯になっています。

 

教科書の内容も難しくなります。理想は辞書を引きながら自分で理解することだと思います。国語辞典もしくは和●辞書を引くためには漢字。読めない漢字は漢和辞典。漢和辞典は部首で探す、総画数で探す、知っている読みで探す、を瞬時に判断しないと-、ということでいくつもの壁があります。仮に語彙がひらがなで、和●辞典がすぐに引けて、子どもの●語の知識が十分であればいいのですがそれは稀。●語でも国語辞典の説明もよくわからない場合(さらに漢字が読めない、なんてことも)、単語ではなく文章全体で考える必要があるような場合はとてもとても時間がかかります。さんざん時間がかかって教科書半ページ。雪わたり、も伊能忠敬もめっちゃ長いのに…

 

そして日本語に来ている間に、クラスでは他教科の学習が進んでしまう…

だから高学年まで持ち越しちゃいけないんだろうな。

私がやっていることは子どものためになっているのだろうか…

 

という葛藤がとてもあります。数回見ただけで指導すべきポイントが分かり、的確に指導して1年でクラスに戻す、とできたら先生としてはかっこいいけどな。でも私は未熟者です、仕方ない。今高学年はアルパカ君だけなのですが、申し訳ないけど、うりぷかの実験台、勉強台になってもらってます。修行、させてね。

 

アルパカ君は実はいわゆる「グレーゾーン」の子らしい。ママははっきり「病気がある」と言います。普段の授業中もノートもほとんど取らない、指示を出しても動かなくて、かなり促さないと「ポーッ」としているだけ(に見える)、になってしまうのだそうです。そして先生の言動が彼の琴線に触れてしまうと「先生怖い」と具合が悪くなってしまう。何度もそれでお休みしています。

幸い、私は彼の中ではセーフゾーンらしい。なぜなら一対一なので彼のペースに合わせられる(巻き込まれている、ともいう)から。それに小さいことでも目に留まるのですかさず誉めることもできるから。結果そんなにきつく言わなければならない場面に遭遇しないから。担任が親なら私は親戚のおばちゃんみたいなもの。ちょっとほっとできる存在、であることも意味があるのかな、と思っています。