ただいまの家 | うるちびのブログ

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うるちびとは。
うるとらちびすけ。うるうるちびすけ。うるさいちびすけ。うるおいちびすけ。
・・・よくわからないけど、そんな感じです。
好き勝手なこと書いてます。

父が亡くなって1年が過ぎた。

これからはまた色々と行動しよう!

楽しい話題のブログをたくさん書こう!

…と思っていた矢先ではあるけれど、残念ながら今日はまた悲しみのブログとなる。




6月16日、私の大好きな叔母が急逝した。

余りに突然で、葬儀に参列して帰って来た今もまだ、全く受け入れることができていない。


5月25日に執り行った父の一周忌法要。

叔母は千葉から、娘2人と一緒に来てくれた。

法事の次の日はステンドグラス美術館に連れてってほしいとか、お昼は北海道ラーメンが食べたいのとか、鰊御殿も見てみたいわとか。

とにかく元気でよく食べよく笑い、とても楽しい時間を、確かに一緒に過ごしていた。

左:叔母/右:母(2025年5月26日撮影)似鳥美術館


娘2人を先に帰してから自分は昔のお友達のところに移動してお泊まりし、5月30日に1人で飛行機に乗って帰って行った。とっても楽しかったわ〜ひらめきって電話もくれていたのに。


それからたった2週間後の夜。

叔母の娘(つまり私のイトコ)からの電話。

アレどうしたの〜音符なんて明るく出た電話の向こう側で、涙声のイトコがポツポツ話す。


ꕤ お母さんが昨日の昼に急性膵炎で入院した。

ꕤ 入院後に誤嚥性肺炎を起こしてしまった。

ꕤ 今、ICUに入っている。

ꕤ ちょっと難しい状況みたい。

ꕤ 今晩がヤマだと言われた。

ꕤ お姉ちゃんは間に合わないかもしれない。

※電話をくれたイトコは叔母の次女で、長女はシンガポールに住んでいる娘と孫に会いに行っていた。


…………………え、なに、どう言うこと?


そう、声を絞り出すのが精一杯だった。

いったい誰のなんの話をしているの?

2週間前に元気に千葉に帰ったばかりでしょ。

お友だちと次は88歳で集まって米寿のお祝いするんだって言ってたよ。………え?


全く理解が追いつかない私。

頭の中が真っ白に、本当に真っ白になった。


イトコはそんな状況なのに、少し体調を崩していたうちの母を気遣い、びっくりすると思うからやんわりと伝えてあげてほしいと言った。

内容的にも私の気持ち的にもやんわりはとても難しかったけど、できるだけやんわりと、冷静を装いながら静かに母に伝えた。母も多分、私と同じ反応だったと思う(記憶は曖昧)。


そんなわけない。

おばちゃんは絶対に大丈夫だよ。

だってあんなに元気だったんだからね。


母にそう言いながら自分に言い聞かせていた。

そして随分長いこと2人でお仏壇の前にいた。

黙ったままどのくらい座っていただろう。


父さんダメだよ、絶対迎えに来ちゃダメだよ。

おばちゃんを助けて、まだ来るなって言って。


そう、心の中で必死に叫んでいたと思う。


だけどそれからほんの数時間後。

6月16日の1時に、叔母はあっけなく逝ってしまった。娘とたくさんの家族に見守られて。


亡くなったことを伝えたら、母は泣き崩れた。

父と叔母は本当に仲の良い兄妹だったし、母もとても仲良くしていたからショックは大きい。

私の兄弟たちも絶句した。そりゃそうだよね。


実感もないまま、ドッタバタが始まった。

北海道の親戚に連絡をし、兄と私の飛行機を取りホテルを取り、母を1人にはできないので弟に泊まってもらう手筈を整え、仕事を休むための調整をし…。無心で準備をした。


6月19日、35℃の千葉でお通夜。

6月20日、告別式。


いくら泣いても葬儀が終わっても実感はない。

ただただ信じられない思いだけだった。



おばちゃん。


あんなに元気だったのに、びっくりしたよ。

おばちゃんもきっとびっくりしたよね。

誤嚥がなかったらまだ生きていられたのにと思うと、悔しくて悔しくてたまらない。


おばちゃんはいつもピンピンコロリで逝きたいって言ってたけど、やっぱりダメだよ。少し前まで話をしていた家族が数時間後に逝っでしまうのは、残された家族のダメージがあまりにも大き過ぎる。私たちのダメージですら、とてつもない。苦しい時間が長くなかったことだけは良かったかもしれないけど、…でもさ、亡くなった2日後に足踏みトレーニングマシンが届いたって聞いたよ悲しいきっとお友だちとの傘寿のお祝いをするときまで、まだまだ元気に生きようと思って買ったんだよね。そう思うと、おばちゃんも本当に悔しかったよね。みんな、悔しいよ。


でも、そんな中でもとても暖かい葬儀だった。

娘たちはもちろんだけど、お婿さんたちが嗚咽していたり、すっかり大人になった孫たちがみんなでおばちゃんを囲んでずっと泣いていたりしているのを見れば、いかにおばちゃんがみんなみんなにたくさんの愛情を注いできたかってことがわかる。みんな、おばちゃんの愛情のおかげでとても幸せに過ごしてきたんだと思うよ。


おばちゃんも、幸せだったよね。

84年間の人生、幸せだったよね。

大変なこともたくさんあったと思うけど、おじちゃんと2人から始まった中村家は娘たちが結婚して孫が産まれひ孫が生まれ、優しくて暖かい大家族になった。全員が仲良しで、いつも笑顔の絶えない幸せ家族の見本みたいな一家だよ。


四十九日には、おじちゃんと父さんがちゃんと迎えにきてくれると思うから大丈夫、寂しくないね。これからはずっと一緒にいてね。 


私のただいまの家。

当分そのままにしておくから泊まりにおいでねって言ってくれたよ。だからおばちゃんと夜通しお喋りしにまた行こうと思ってるよ。

ただいまって行くからお帰りって言ってね。


55年間も、ずっと変わらず可愛がってくれてありがとう。私もこれからもずっと変わらずおばちゃんのことが大好きだよほっこりラブラブ




ダメージが大き過ぎて、今週末の氷艶は正直またキャンセルしようかと思っていた。

とても出かける気持ちにはなれずにいた。


でもね、行くことにしたの。

この間すごーく久しぶりにDD会のみんなと会ったらなんか元気出たから泣き笑いそしてやっぱり大ちゃんに会いたくなったから。


おばちゃんもね、行くのやめたって知ったら「えぇぇ?悪かったねーごめんねーあらー困ったねー…ちょっと不満」って言うんだと思うのよ


気付けば向こうの世界には家族や親戚がたっくさんいて、きっと誰も寂しくないねと思えるくらいになった。痛みも苦しみも悲しみもない世界で、みんな幸せに暮らして私たちのことを待っていてくれるのだと思うから、いつかのその日まで、私は元気でいようと思う。それがきっとみんなへの恩返しだと思うから。



セキセイインコ黄おまけセキセイインコ青

おばちゃんが帰るときに、ガソリン代って言ってくれた最後のお小遣い。…おばちゃんのせいで一生開けられなくなっちゃったよっハッ