昨日、TOKYOシリーズをお休みして載せたはずの昌磨記事が消えてもーた…![]()
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まぁいいや。またそのうちに載せるとして、取り敢えず、なかなか終わらない12月23日のことを書き上げてしまわなければ。
退任式が終わり、社長を乗せたタクシーを見送った直後、私も予め手配しておいたタクシーに乗り込んでこの日3度目の浅草へ。
向かった先は、ココ↓
この日ここで歌っていたのは私の幼馴染。
だって私たちはこれから実に40年ぶりの再会を果たすことになるのだから。
1つ年上の彼女との出会いは小学生のとき。
お互い親に連れられて行っていた教会で。
当時の神父さまは子供好きだったらしい。
教会学校に遊びに行っていた?子供たちをドライブに連れて行ってくれたり、毎夏サマーキャンプに連れて行ってくれたりした。
そんなとき、彼女はいつも側にいた。
というか、私はとても活発で明るい彼女のことが大好きでくっついて歩いていたのだな。
でも中学生くらいになるとみんな、学校の友だち付き合いとか部活とかが忙しくなるから、日曜日ごとに親と教会に行くことなどほとんどなくなっちゃうんだよね。中学生が信仰心!とかでもないじゃない?ある人はある!
学校も違ったから会う機会は激減していた。
母から、郁ちゃんが東京に転校したよと聞いたのは、私が中学校2年生のときだった。
今と違って携帯があるわけじゃなし。手紙を書こうにも住所もわからない。だから私たちはそれから1度も会うことはなかったし、どこでなにをしているかも全然知らなかった。
のに‼︎
去年の5月頃だったな。
SNS上で彼女を偶然発見したのは。
なななーんと!
…Jazz Singerになっていた![]()
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写真は、その頃発売になったCDジャケット。
郁ちゃんだ!!!と思った瞬間、頭で考えるより先に指が勝手に動いていたと思う。
私はすぐに連絡を取ってみた。ら、向こうからサマーキャンプのときのこんがりと焼け焦げた顔の私の写真が送られてきて大爆笑!
一気にあの頃のテンションになったよね。
SNSを通して色々話をしていたら、ものすごーくびっくりする話に繋がっていった。
実は破沙羅に…。
彼女の極身近な人が出演してたという。
しかもこの中の誰か
びっくりしてひっくり返ったから![]()
更には当時お兄さんが社長をしていた会社が元染五郎さんのスポンサーだったとかさ。
日本って本当に狭い国なのだねぇ…。
CDを買って初めて歌を聴いたときは子供の頃の声の面影に感動した。カッコ良くて優しくて心地良くて、懐かしい歌声だった。何度も繰り返し聴きながら、彼女はこれまでどんな人生を積んで、今この歌をこうして歌っているのだろうとか勝手に想像し、胸が熱くなったりしてね。じーんとかつーんとかしたよ。
とってもとっても素敵な時間だった。
楽し過ぎて、マジで禿げるかと思った
この日はLiveが終わったらホテルへ。
25日に一緒にご飯を食べる約束をして。
ホテルに戻ってから、郁ちゃんがくれたクリスマスプリンを食べて寝ようと思ったけど、流石に興奮しててなかなか眠れなかったな。
ちなみに私のお土産は、小樽新倉屋のクリスマス練り切り。懐かしんでくれたかな。
↑洋と和で完全に被ってる
人生って、色んなことが起きるね。
宝物の時間がまた増えた。
またいつか、必ず聴きに行くし。
彼女も小樽でLiveしたいって言ってたし。
その日を楽しみにしていようと思う。
素敵な秘密も見つけられるかもしれないよ。
全日本で大ちゃんに会うことも、社長の退任式に出席することも、郁ちゃんの歌を聴きに行くことも、全部諦めなくてよかった。
全てが人生のご褒美だったんだと思った。
私が行くべき場所だったんだ。
まぁ大ちゃんでは若干怪我したけどな![]()
ピンクレディスケジュール、頑張った!
翌日以降もなかなかハードスケジュール。
そこはまた明日にでも。









