№02~福島県を創ろう! | ウルブリヒトのメモ帳

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県の成り立ち変遷を見るのはとても興味深い。
思いがけない県が有ったり、とんでもない地域と一緒だったりして、
意外な一面と明治初期の苦悩が窺い知れたりもする。

福島県の変遷を歴史本などの資料を首っ引きで整理してみた。
調べてみると、とっても複雑だ。地元の兵庫県も顔負けのややこしさだ。
明治にも関らず途中で藩が再興していたり、福島県の名が途中で消滅する瞬間があったりする。
他県と大きく異なる特徴は、戊辰戦争の影響を受けていることだ。(戊辰戦争⇒会津戦争)

分かりやすいように、変遷を図示してみた。
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まず、会津戦争で各藩がどうなったのかを分類してみた。
会津戦争後の藩の変遷を整理(天領と他藩の飛地は除く)

■会津戦争で廃藩
福島藩 白河藩 会津藩 ⇒民政局
下手渡藩 ⇒三池藩(九州)の分領地に

白河藩⇒会津戦争前に二本松藩預かり⇒戦後一時的複藩し廃藩
会津藩⇒青森の斗南藩にて再興

■会津戦争で廃藩⇒平民政局となるも後に復興した藩
磐城平藩 泉藩 湯長谷藩

■維新前から廃藩置県まで継続して存続した藩
二本松藩 三春藩 棚倉藩 中村藩  

■維新前から存続したが版籍奉還後に改変した藩
守山藩(松川藩として転出した)
長沼藩(常陸府中藩の支領⇒石岡藩を経て石岡県に組み込まれる)

藩の整理がついたところで、4つに時期を区切って、存在した局・藩・県を並べていく。
*太陽暦採用前の年月日は太陰暦に準拠

会津戦争~若松城開城

明治元年9月22日の前後

会津藩⇒加賀藩・松代藩・越前藩・高田藩・その他に預り
白河藩・棚倉藩・二本松藩ほか飛領⇒黒羽藩・守山藩・高田藩・石岡藩に仮預け
磐城平藩・泉藩・湯長谷藩⇒笠間藩支配
福島藩と信達諸藩飛領⇒相馬藩・笠間藩・守山藩による支配

官軍に降った順に対処。一時的処置で実質的な意味は無い


①会津戦争後

明治元年9月下旬~明治2年前半頃

平*#、若松、福島#、白河の4民政局が設置される(M.1~2の設置順)
二本松藩 長沼藩 三春藩 守山藩 棚倉藩 中村藩

*:磐城三藩は若松城開城より前に官軍に降ったので民政局の設置は明治元年8月8日と早い
#:平と福島の民政局は設置当初は民政取締所と称していた


②版籍奉還

版籍奉還による府藩県三治制の時期(明治2年6~7月)
福島県* 白河県* 若松県*
二本松藩 三春藩 棚倉藩 中村藩 長沼藩 磐城平藩# 泉藩# 湯長谷藩#

*:民政局から県に改変 
#:平民政局から磐城三藩が復活する(時期は不同)
この布陣で2年が経過する

③廃藩置県

■■①■■
10県~廃藩置県の実施時点(明治4年7月14日)
福島県 白河県 若松県
二本松県* 三春県* 棚倉県* 中村県* 磐城平県* 泉県* 湯長谷県*
*:廃藩置県により自動的に新たに誕生した県(4ヶ月弱の短命県)



■■②■■
3県に集約~廃藩置県の全国精査統合の結果(明治4年11月2日~)
二本松県 平県 若松県



■■③■■
12日後に2県が改名(明治4年11月14日~)
二本松県⇒福島県平県⇒磐前県(いわさき)、若松県(変更なし)
*二本松から県庁移転により福島県に改名

この福島県、磐前県、若松県の3県時代が5年弱続く
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④現在の福島県

現在の福島県の誕生(明治9年8月21日~)
明治9年、全13府県に及ぶ大規模合併が実施され、福島県、磐前県、若松県が統合し新制福島県が誕生

磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)⇒宮城県へ移管
磐前県南部の一部⇒茨城県へ移管

■補■明治19年
東蒲原郡が新潟県に移管(県庁移転騒動の結果)
~この時を以って県域が定まる

■補の補■明治40年
飯豊山の極小部が福島県に定まる


う~ん本当に一筋縄ではいかない大変な作業だった。
手をつけたものの、資料も誤植や、記載自体に整合性が無かったり、ややこしいことこの上ない。
色分けされた変遷地図があればいいんだが関西の図書館では見当たらない。
ご当地ではきっとあるに違いない。

過程を追っていると、会津戦争の影響や、地域ごとの力関係とか複雑に影響し合っているのが垣間見えた。全国的にも県の定義が固まっていないため、最後に更なる変遷を繰り返さなければならなかった。
でもって、今が理想的な県域と言うと、ほとんどの県もそうでないだろうし、
今でも郡山市への県庁の移転問題ってのが浮上することもあるそうで、永遠普遍とは言いがたい。

自治体の変遷過程はマイナーな内容で、歴史でもあまり注目されないし役にもたたない。
でも、地域の個性が分かれる福島県については、是非しておきたかった作業なのである。
次からは硬い内容はほどほどにして、もっと簡単なものにします。