🌞本日、令和2年(2020年)2月5日(水曜日)は、暦(こよみ)には「天赦日(てんしゃにち)」と記されています。「天が赦(ゆる)す日(ひ)」と書いて「天赦日(てんしゃにち)、見るからに縁起の良さを感じますね。

🌞それも、「年に6,7回」しかない❓・・・・・・と言われている❔❔❔
ならば、どのような理由で「年に5,6回」なのか、そのメカニズムを明らかにしなければビックリマーク・・・・・・と、暦が好きな右京サンは喰いついたのです。

🌞そこで、手元に置いている《神社本教暦》を開いて、「2月5日」の欄を見ます。暦注の下段には、小さめの活字で「天赦日  小犯土(こつち) 成就日」とあります。

🌞そこから上に「2月5日」の欄をたどると、旧暦12日、参=[二十八宿]、建神[十二直]、赤口[六曜・六輝]、三碧[九星]、つちのえ とら=戊寅[六十干支]・・・・・・と並んでいるのです。

🌞「年に6,7回」しかない・・・・・・ということなら、六十干支(ろくじっかんし)に基づいているとすれば、「年に6,7回」しかめぐって来ないから、その裏付けとなるものを調べました。

🌞この暦には暦注の解説も載っていて、【精神修養日】と題した欄に
天赦日(てんしゃにち)」の解説があります。やや長いのですが、以下に引用しておきます。大して意味はないので、「★印」まで読み飛ばしてください。

🌞「天赦日(てんしゃにち)
暦のうち第一の吉日なり。仮名暦略註は
天赦とは天の生気万物を生養して、その罪を宥(なだ)むる也日」と言い、之の大吉日にして何事をなしても万(よろず)よしとしてある。
天赦日の支の一行は、時節の一行とは此れ和して、これを旺せしめて居(い)る。この点より観て天赦日は吾人の肉体的に好影響を与えて居る。
天赦日の干(=天干)は、甲(きのえ)または戊(つちのえ)である。

🌞[考原に曰う(☜詳細不明)]「甲戊(こうぼ=「きのえ」と「つちのえ」)は」、十干の中に於いて最尊と為す所謂(ショイ=いうところ)。
甲(きのえ)を諸神の首(シュ)=中心と為し、戊(つちのえ)は持って甲(きのえ)を助けて功を成すなり」
とある。

🌞協記弁法書『協記弁法書』に曰う、「按ずる(つらつらと考えをめぐらせてみる)に、暦神厚好に曰ふ天に五維(五つの綱=五行)あり幾星を仁となし(天体の星々の動きを理解し) 而(しこう)し甲は之に応じる=対応する土星を徳とし、而(しこう)して=然るに戊(つちのえ=陽の土性)は之に応ず。

🌞仁徳の神は、甲戊(コウ・ボ=きのえ・つちのえ)若(も)しくは莫(な)し。道家=道教・道学では、甲戊日を以て祈祷に宜しいとしている。(★印:以上)

🌞そしての配当順は、
立春~立夏・・・・・・戊寅の日=十干「陽土性」×十二支「陽木性」
立夏~立秋・・・・・・甲午の日=十干「陽木性」×十二支「陽火性」

立秋~立冬・・・・・・戊申の日=十干「陽土性」×十二支「陽金性」

立冬~立春・・・・・・甲子の日=十干「陽木性」×十二支「陽水性」
※ 陰陽五行のリズムを無視していて美しさに欠ける。

 

🌞これが、どのような経過をたどって「天赦日(てんしゃにち)」にしちゃったのか❓・・・・・・これが、一つ目の「天赦日(てんしゃにしてち)」の疑問❓です。

🌞そして、なぜ「天赦日(てんしゃにち)」が、「オールOKな日」=「お気楽&能天気な日」にされちゃったのか❓・・・・・・これが二つ目の「天赦日(てんしゃにち)」の疑問❓です。

🌞まず、一つ目の疑問について。「天赦とは天の生気万物を生養して、その罪を宥(なだ)むる也日」というのは、「罪を悔い改める日」ということで、ひょっとするとキリスト教思想景教の影響を受けているのかもしれません。

🌞それ以前に、甲(きのえ)を諸神の首(シュ)=中心と為し、戊(つちのえ)は持って甲(きのえ)を助けて功を成すなり」と記しているのは、根本的に間違っているのです。

🌞甲(きのえ)諸神の首(シュ)=中心ではなく、十干の最初に位置しているだけです。さらに、甲(きのえ)戊(つちのえ)は、相互に牽制し合う関係で、主従関係でもありません。

🌞そして、甲(きのえ)甲(きのえ)戊(つちのえ)いう十干=天干同士の関係を、いきなり戊(つちのえ)十二支の寅(陽の木性)の組み合わせにすり変えていることにも呆れるのです。

🌞つぎに、二つ目の疑問❓です。なぜ「オールOKな日」=「お気楽&能天気な日」にされちゃったのか❓・・・・・・これは、この国に限ったことではなく、世界のどこにも共通している民間信仰の影響かと思うのです。

🌞人が集まるところに文化と習俗が生み出され、それが別のところへと伝播しあうものです。たとえば、中国の道教は民間習俗と混ざり合いながら、日本にも伝わっています。

🌞すこし前に投稿した「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)のしくみ」という記事も、どこかの風習に影響されたのかもしれません。ただ、それに安易に乗っかるのは如何かと思うところはあります。

🌞冒頭部分でも紹介しているように、《神社本教暦》では【精神修養日】にカテゴライズされています。ですから、テンションを上げる日というよりも、自分自身と向き合い、心身をリフレッシュする日と考えるほうが良いのかもしれません。

🌞ぶっちゃけて言わせていただくと、ご自身の知っていることや情報が完璧だと思いこんで自己PRされている方もいらっしゃるようです。それを他山の石として、役に立てるようにしたいものです。

🌞お読みいただき、ありがとうございました。