貨物列車のいる風景【-1】 | うきゃらぴのマル鉄メモ(アメブロ分室)

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 ★大切なのはやめない事とあきらめない事★

昨日書いたエントリーで、貨物列車のことを取り上げたら「こんな風景はあまり見られなくなりました」と言うコメントをいただきました。確かに自分が今東京に住んでいて、JRでも私鉄でも、都心の線区では”貨物列車がゆっくり止まっている光景”は見られなくなって来ています。

貨物ターミナル駅の立地が都心から遠ざかり、東海道線では鶴見から先、中央線ならば国立以西で八王子に行かないと機関車と貨物列車の組み合わせは見られないし、その本数もメインの路線以外は増えているとはいえない。(都心を迂回する形で環状をなしている武蔵野線とかの沿線の方はそうでもないか(汗) さらに夜間の通過がメインとはいえ、山手貨物線もある(さらに汗) 

まあ「限られたところでしか見られなくなった」という表現が正しいのか)


80~90年代では山手線の内外で貨物列車関係の作業を見られるところが結構ありました。


埼京線(赤羽線)板橋駅 93年11月頃







今では23区内の旅客駅内にこんな設備がある土地スペースを確保しておくゆとりは無いと思われます。96年に貨物列車の設定廃止。


中央線 飯田町駅(94年5月ごろ撮影)

ここは飯田橋紙流通センターの倉庫があった。97年貨物列車設定廃止、99年には駅自体が廃止となり、現在地にはJR貨物の本社やホテルエドモントが建っています。



こんな風に、飯田橋駅のホームから入れ替え風景が眺められたりしました。



いまでも中央快速線には飯田町駅(今は保線の保守基地に名残が)への分岐があるはずです。。。。

ちなみに山手線上でよく覚えている貨物関連ではサッポロビールの工場専用線があった恵比寿駅、ここの貨物取扱廃止は82年の11月。工場のあった辺りは恵比寿ガーデンプレイスになっています。

ここら辺の風景は山手線の車窓から結構見ており、その写真を撮って記録しておかなかったことが今でも悔やまれます。(Wikipediaなどで調べたところによると、池袋で80年、新宿で84年、汐留で86年に貨物取扱廃止)


この項目は不定期に続く(のかも知れません。)