人は困難を乗り越えれば美しく輝くことができる⑷ | 書道家 右近桜月 official blog 『至誠』

書道家 右近桜月 official blog 『至誠』

福井県出身
若手書道家
右近桜月〔うこん おうげつ〕と申します

4歳から書の道を歩み
22歳で師範より上の最高段位
同人を獲得

『至誠』極めて誠実なこと・真心

〜至誠にして動かざる者は
未だこれ有らざる成り〜吉田松陰先生より


今日も一日お疲れ様です❀.(*´◡`*)❀.
右近月です

 個人の方から御依頼頂いた
壁掛け型の越前和紙の色紙を
今日納品しました

いちぶだけ ちらっ
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壁掛け型のなかでも
一番人気のお色味 金色

お勤め先の企業様に飾って下さるそうです
社長様のお名前に龍がつくことから
お話しし
企業様が より盛り上がるような
四字熟語を書かせて頂きました

私の一年前の阪急梅田三番街で
開催した個展に
お越し下さった方で
その時のことを
思い浮かべながら筆を尽くしました

どうか気に入って頂けますように


では ここからは
また自分の自分史のつづきを
綴りたいと思います

〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜


 
養護学校 高等部2年生
私は 一つのことで悩んでいた

それは
進学

入学当時から ずっと
不安に思っていたことがあったのです

 
養護学校に通っている私は 
ちゃんと大人になって
就職ができるのだろうか?
いわゆる企業に勤めて
OLさんみたいになれるのだろうか?


なによりも
なによりも
まず社会で生きていけるのだろうかと…

通っていた養護学校は
新しく建ったばかりで
養護学校の病弱部で勉強していた子が
進学して一般企業に就職した

そんな前例はなかったのです
全く…

前例がないということは
お手本にする人がいないということ 

私には将来の見通しがなかった

見通しがあるって
凄く重要なことなのです

私は 前例がないことを
どうにか頭のなかで描きました

あの頃は本当に 
自分の将来がどうなるのか
ただただ怖かった


自分で新境地を
切り開いていくしかないのだと
もう不安で不安で仕方ありませんでした

養護学校といえども
普通高校と変わらず勉強はします

科目によって商業高校で使われている
教科書を使うこともありますが
先生方は 熱心に手厚く
指導して下さいました

病弱部は片手でおさまる人数だったので
先生との距離も近く
分からないことは すぐ質問できるし
有難い事に凄くアットホームな環境だった


ある日 普通高校に通う地元の友達に
私は こんなことを
話したことがありました

「 来週テストだから勉強がんばらないと 」

すると その子から返ってきたのは
こんな言葉



「 え!?養護学校でもテストとかあるの? 」


え……??
もしかして
勉強してないって思われてる?


その時その子の口調から
そのことを悟りました

なんだか もうどこにも 
やり場がない気持ち
遣る瀬無い気持ちになったことを
覚えています


決して友達に悪意はないし
素直な率直な疑問だったからこそ
なんだか 余計に悔しくて悲しくなった


私は将来 何に なりたいのだろう
何になら なれるのだろう


当時 17歳 その頃は
書道を仕事にすることは
全くもって
一ミリも 考えてもいませんでした

大好きな趣味として
死ぬまで続けたいけれど
仕事とは切り離して考えていました

でも
書道教室で ある日 師から
ぽろっとこんな言葉をかけてもらったのです


「 右近さん、あなた将来 
書道家になりなさい 」


いやいや無理でしょ
 ただ書くことが好きなだけで
凡人で 天才でもないし
ましてや書道で生きていける人なんて
ほんの一握り。


そんな安定も へったくれもない道
私は絶対に選べないと思いました


普通高校にも通っていない
誰よりも不安定だったからこそ
 人より安定というものを
凄く求めていたのだと
今、振り返ると思えます


私は 障がいをもった子達と
出会って
いろんなことを痛いくらい感じて考えた

それは『 社会の在り方 』

4つ前の記事にリンクで貼った
「 心のバリアフリーに富んだ町 」の作文

14歳
あの作文を書いたときは
私が 障がいを持った子達の中に
身をおくことになるとは
想像もしていませんでした

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3年間は
障がいをもった 個性満点な子達と
こうして遊んだ
一緒に 走った  笑い合った

あの時 書いた作文は
書くべくして書いたものなのだと
障がいを持った子達と触れる度に
私は想った


14歳の頃から変わらず願っている
12年経っても
未だに同じことを願っている


日本が
健常者が
心のバリアフリーに富んだ国で
人々になることを…


だからこそ
この経験を活かし
介護や看護の道に進もうかと 私は考えた

体験した私にしか
できないこと
私にしか出来ない なにかがあるはず

そんな進路に心が揺れている時


私は
職場体験で
福井のブライダルの
専門式場にいったのです
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私が知らない世界が そこにはあった…


私の実家はお寺で
冠婚葬祭でいえば
「葬儀」
悲しみや辛い局面
悲しい涙しか 私は見たことがなかった

しかしブライダルの仕事は冠婚葬祭でも
反対の「婚礼」

誰かの人生で たった一度の
幸せな時間を創ることができる

沢山の人をhappyにすることができるのだと

こんな素敵な仕事があることに
衝撃を受けたのだ
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色んな話をウエディングプランナーさんから
聞かせて頂いて
私は卒業したら
ブライダルを学べる学校に進学し
最高のホスピタリティ
おもてなしを学ぶことを決意した

そして
私には 一つの夢がうまれた


私は健常者の世界も
障がいをもった方々の世界も
2つ知っている

だからこそ

障がいを持った方たちと
健常者の方々を繋ぐ
架け橋のような存在に
なりたい

私は 見つけたんだ
私にしかできないことを…

それが私にとっての使命なのではないかと
17歳の私は考えた


そしてブライダルを学べる
専門学校を私は探した

福井にはない
ブライダルを学ぶには県外にでること 

調べていて
一番最初に 興味を抱いたのは
大阪観光専門学校という学校の
ブライダル学科 だった

大阪観光専門学校は
ブライダルの他
エアポート学科や
鉄道学科 トラベル学科があり
さまざまな専門分野を学べる学校だった

ホームページを見てみたら
ブライダルの学科長の先生が
「 The Master of Wedding Planner 2008 」
で全国のグランプリに 輝かれた方だったのだ

私は その先生に 逢いたいと想いました

そしてすぐ
その専門学校の体験入学に
行くことに決めた

実家がお寺で旅行に全くいけなかった私は
本当の都会というものを 
知らなかったんですよね


初めての大阪
人が とにかく多い!(当たり前)
今日は 何かのお祭りか?真顔
福井で お祭りあっても
こんなに よぉけ人えんけどなぁ…笑
(田舎っぺ まるだし


そして体験入学で
学科長の先生の話を聴くことができました

先生は輝いていた
こんなにオーラがある人に
産まれて初めて出逢った
他の学校の体験も行く予定だったけれど
絶対ここがいい!と即決で決めました

この先生から学びたいと想った

体験入学に来ている子達も
誰かの幸せのお手伝いをしたいという
同じような志を抱いている子で
凄く優しくて明るかった

私は自分の将来の見通しが
少しばかり見えた気がしました

そして3年生になり
毎週 楽しみにしていた教科が
私にはあった
それは
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「倫理 」の授業
今でも その時のノートを大切に持っています

あの頃の葛藤や気持ちが ぜんぶ記してある
最後の授業で下記の2つのことを書いた

ノートの字が小さくて
見づらいので
私は活字にして ここに残したいと思います


①1年間の倫理の授業を通して
自分が学んだことは何か

1年間、倫理を勉強して私は
自分自身と向き合うということを学んだ

まず、自分のなかにある問題を見つめ
整理し冷静に考えられるようになったと思う

そして、いいかげん という感じが
徐々に身についてきたように思う

また、色々な職業の人など
 様々な人の生き方を知り
本当に1人1人違うんだな ということと
人と繋がるということの素晴らしさを知った

いつでも答えは自分のなかにあるから
とことん考え悩みぬく
その過程に意味があるということ

これからも その過程を大事にしたいと思う


②卒業後も自分として考えていきたい
テーマ(問い)

卒業後 いかにして
自分らしく生きていけるか

生きていると実感できることをしているかが
テーマになると思う

何より今までした経験が
誰かのためになるといいと考えている

また、この3年間 障がいを持った子と
関わったこと
これは人生で貴重で大事な日々だったと
思うから
なんとか将来
つながりを持っていたいと思う

きっと私にしかできない何かがあるはず、
それは
やりたいことと
やらなきゃいけないことの
どちらでもあると思う

まだまだ言葉にして上手く言えないけれど
これから色々なものを見たり
聞いたりして
自分という人間の幅が
もっと広くなってから
実現できるといいなと思っている


社会のなかで
自分が存在しているということを
感じながら生きていきたい!!!

(18歳の私 手記)


私は高校時代3年間 
沢山泣いて
悩んで苦しんで時には傷ついて
笑って助けられて救われた
1095日を過ごした

私は ちゃんと傷つけた3年間で
良かったと想っている

誰かに責任転嫁せず
誰かのせいにせず
ちゃんと自分を苦しみぬいた

「ちゃんと傷つく」
これは怖いことだけれど
強い人は ちゃんと
傷つくことが出来る人だと考える


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卒業式の日
担任、副担任の先生方に
最後のお礼を伝えたとき
何をいっているか分からないくらい
泣きながら感謝の気持ちと
これからの生きたい未来を伝えたことを
覚えている


そして私は 18歳の春
福井から飛び出して
大阪に進学のため地元を離れた

それから私の都会での生活は
ブライダルを学ぶことと一緒に
始まるのであった

次の記事に
私の専門学校での日々
そして 新たに 立ちはだかった壁について
綴りたいと思いますラブラブ
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