Q. “ 本能寺の変 ” の直前に、明智光秀も参加した 連歌会で詠まれた 「 愛宕百韻 」 ( あたごひゃくいん ) というのは、共同制作で、50首の和歌が詠まれた、ということですか?
A. そうではありません。
わかりやすく言えば、 “ 100行で出来た 一篇の詩 ” が詠まれた
ということになります。
上記の写真の [ 私の先祖 明智光秀 ] は、細川ガラシャの子孫で、ご自身も クリスチャンとして、霊名を “ ガラシャ ” としていただかれた、 細川ガラシャ珠生 ( たまお ) さんが 記されたものです。
細川忠興と玉の 長男である 忠隆 の 11代目の子孫にあたられます。
この本の 121ページに、
「 連歌というのは、上の句 一七音と 下の句 一四音を、別の人が
詠みます。
例えば、 “ 百韻 ” なら 百句詠むということですが、
上下それぞれ一句とするので、実際にできあがるのは 五〇
です。」
━━ とありますが、本当に、そうなのでしょうか???
● “ 本能寺の変 ” ( 6/2 ) の 9日前の、5月24日に、愛宕神社 ・
威徳院で 連歌会が催され、
“ 百韻 ” 形式で、9人で 詠みあげられていきました。
明智光秀と その子の 光慶 ( みつよし )。家臣1人。
連歌師 ・ 里村紹巴 ( じょうは ) と、一門の 3人。
愛宕神社の神官 2人、の 合計 9名でした。
“ 発句 ” は、光秀の、
ときは今 天が下しる 五月哉
100句目の “ 挙句 ” は、息子 ・ 光慶の、
国々は猶 ( なお ) のどかなるころ
● [ 連歌 ] というのは、前句に、つかず離れず、付句をしていき、
二句一連 の連続で、次々と変化していきながら、
全体として、協同で、一つの大きな作品に 仕上げていきます。
ときは今 天が下しる 五月哉 光秀
[ 前句 ] の “ 五月 ” を受けて、五月雨 ・ 川上から流れてくる
水音 ・ 眼前の庭の光景をもとに、
水上まさる 庭の夏山 行祐 ( 威徳院 神官 )
[ 前句 ] の “ 流れ ” “ 庭の泉水 ” を受けて、
花落ちる 池の流れを せきとめて 紹巴
[ 前句 ] の “ 春景色 ” を受けて、
風に霞を 吹き送る暮れ 宥源 ( 大善院 神官 )
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・・・・・・・・
100句目の “ 挙句 ” は、
[ 前句 ] の “ 花 ” を受けて、桜の花が爛漫と咲く、のどかな春。
国々も、のどかに治まる 太平の世 と言うことで、型通りの祝言で
この一巻を、めでたく おさめていきます。
国々は猶 のどかなるころ 光慶
● 「 愛宕百韻 」 として、連歌の形式名で 伝えられてきているのですが、本当は、この 長大な作品に、きちんとした タイトル名をつけるのが いいですよネ。
私 ( 久保田 Ucon 典彦 ) なら、
【 天正十年 愛宕百韻 「 ときは今 」 】
と、付けたいと思います。
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