近くを流れる 女瀬川 ( にょぜがわ ) の 「 立ちあおい 」
Q. “ フランシスコ ・ ザビエルと 蟹 ”の話が 伝えられていますが、
本当にあったことなのですか。
A. まず、その話があった場所のことを 説明します。
ザビエルは、インド南部の ペスカリア ( 漁夫 ) 海岸一帯で 宣教
活動をしていましたが、
はるか 離れた、セレベス島の マカッサル地方で 新しく信者になった
人々のために働くように、神の召しを与えられて 出かけて行きます。
6000km 以上も 離れた場所です。
ベンガル湾を横切り、マラッカ海峡を通り、スマトラ島 ・ ジャワ島 ・
ボルネオ島 ( カリマンタン島 ) を過ぎて、やっと セレベス島 ( スラウェシ島 ) の マカッサル になります。
日本からで言えば、オーストラリア大陸までが、大体 同じ位の距離になるほどの、遠く離れた場所です。
しかし、ザビエルは、途中の マレイシアの マラッカまで来て、船の
出発待ちをしていた時に、マカッサルでの働き以上に、
更に その先の、バンダ海にある アンボン島での働きの重要性を示され、アンボイノ の町に 出かけて行きます。
ここで、クリスチャン達のいる すべての村を ひと巡りした時に、
近くにある 「 セラム島 」 を訪れる機会が ありました。
“ 首狩り族 ” と呼ばれていた アルフロ族の島で、宣教の機会がなかったのですが、
数人の ポルトガル商人が、その島に行く というので、
ザビエルも 一緒に 船に乗って、出かけて行きました。
● “ ザビエルと 蟹の話 ” は、この時の出来事です。
ザビエル達が乗っていた船が、風の関係で、あまり 進むことが出来ませんでした。
ザビエルが、紐につないでいた 十字架を、海に浸しながら 旅の無事を祈っていた時に、紐が切れてしまって、十字架は 海の底に 沈んで
いってしまいました。
どうすることも 出来ません。あきらめるほか ありません。
数時間後に、十字架を落とした場所から 4km ほど離れた、セラム島の ワラヌラ の浜辺に たどり着きました。
ザビエルが、ポルトガル商人の一人の ファウスト ・ ロドリゲス と
一緒に、浜辺を歩いていましたら、
何と、はさみに あの十字架をはさんだ 大きな蟹が、海から出てきた
のでした!
● この出来事を 伝えたのは、この時、ザビエルと一緒にいた
ロドリゲス で、後に、ザビエルの [ 列福調査 ] の時に、証人として
証言しているほどの人で、勿論、クリスチャンです。
「 太閤記 」 や 「 信長公記 」 などの、官製筆者による 記録ではありません。
読み本や 講談本や 歌舞伎などの台本などでは、さまざまな 作り話が 入り混じっていますが、
クリスチャンは、基本的に、 “ 噓をつく ” ことが出来ません。
「 十戒 」 でも、厳しく 警告されています。
「 偽りの証言を してはならない。」 ( 第9戒 )
ありもしなかったことを、いかにも 事実であるかのように、偽りの証言をして、
結果的に、「 天国 」 に 入ることが出来ないようなことは しません。
“ ザビエルと 蟹の話 ” は、十分、事実として 受けとめていいのでは
ないでしょうか。
● ただ、このあとのことは、微妙です。
“ 背中に 十字架を思わせる模様 ” を持っている
「 シマイシガニ 」 ( Crucifix Crab ) と呼ばれる 大きな蟹がいます。
・ 十字架を はさんで届けてくれた蟹が、「 シマイシガニ 」 だった!?
・ ザビエルが、感謝の祈りをささげた後、“ ザビエルの奇蹟 ” として、
この蟹の甲羅に 十字の模様があらわれるようになった!?
今でも、十字模様の甲羅をもった 蟹 ( シマイシガニ ) は、水揚げ
されていて、現地では、「 ザビエル蟹 」 と 呼ばれているようですよ。
※ [ Archives ] ( アーカイブ ・ 記録保管所 )
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